色々夢

□小話(秋水)
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小話5-1

賑わう人混みの中を、二人の旅人が通りすぎていく。
これが地元ならあっという間に二人を中心に人だかりが出来るだろうが、この地に彼らを知る者などまずいない。淡々と道を進むだけである。

「港町と言うのはどこも活気があって良いな」
「…そうか? 煩くてかなわんが…」

水夫たちの威勢の良すぎる声に顔をしかめ、夏侯惇は横にいる楊采を見やる。
辺りに目をやっている彼女は、楽しそうではあるがいつもより随分と穏やかな空気を纏っている。
他国との大事な交渉を控えての旅であるから、目立ったことをしないでくれるのはとてもありがたい。

夏侯惇自身は、二人きりで任務など務まるのかと最初は躊躇った。しかし曹操に呼び出されるなり「あやつの手綱を握れるのはお前しかおらぬ」と真剣に言われてしまっては引き受けない訳にもいかなかった。

そんな事があり、陸路・水路を駆使してはるばるやってきたのだが、帰りもあの道程を通るのかと思うと今からとても気が重い。

「ははっ、夏侯惇があんなに船酔いするとは思わなかったけどなー」
「う、うるさい! 大きな船があんなに揺れるなど…普通予想できないだろうがっ!」

水路は当然船である。しかし、初めて大きな船に乗った夏侯惇は、それこそ船に足を踏み入れた瞬間から動けなくなった。
むしろ楊采が平然と船を歩き回っていたのが不思議でならない。普段の身軽さといい、いったいどういう体の作りをしているのだろうか。

「しかしな、船には慣れておかないといけないぞ…交渉がうまくいってもいかなくても、我々はいずれ水軍を持つことになるのだからな」
「分かっている」

不意に、楊采が真面目な顔で言い、遠くに停泊する船を見つめる。
乗ってきた船ともまた違う。戦うための装備を完璧に整えた軍船と呼ぶべきものだ。
曹操軍には水上戦の知識が圧倒的に足りない。しかし、この先続く戦の事を考えると、水軍を手に入れ強化する事は大陸制覇を達成する為に必要不可欠なのである。

「あれが水軍か」
「ああ。相当強いらしいぞ。敵に回したくないな」

珍しく弱気な発言をするものだと、声を潜める楊采を意外に思った。だが、それだけ相手を評価し、警戒している証拠なのだろう。

「おい、ひとまず宿に向かうぞ」
「……うん…」
「どうした?」

交渉の席は明日である。船で全く休めなかったので、早く宿で疲れをとりたい。
だというのに、ぼんやりと船を見ている彼女に動く気配はまるでない。

「楊采?」

ゆっくりと、肩越しに振り返る楊采の目が不安に揺れている。
滅多にないその様子にどうしようもなく胸が締め付けられて、思わず固まる夏侯惇の前で、彼女はかすかに唇を動かした。

「…っ」
「な、に…!?」

問い質す前に、楊采の体から力が抜けてその場に崩れ落ちていった。



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