色々夢

□小話(秋水)
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小話4-1

兵の鍛練を終えて戻ろうとした夏侯惇の視界の隅に、見慣れた黒ずくめが映った気がして足を止める。
改めて目をやると、やはり楊采が一人で歩いていた。いつも部下に囲まれて忙しそうにしているのに、珍しい事もあるものだ。

「楊采!」
「お、夏侯惇…鍛練終わったのか」
「ちょうど今、終わったところだ」

呼び掛けに応じて彼女も歩みを止めたので、夏侯惇も自然な流れで横に並ぶ。
ここのところ忙しそうにしていて話せていなかったが、見る限り、以前ほど根を詰めて仕事している様子はないので少し安心した。

「どこか行くのか?」
「うん、街にね。ちょっと気分転換してこようかなって」
「…そうか」

楊采は街へよく出歩く。洛陽にいた頃もそうだったが、あちこち歩き回って自分の目で街を見るのが好きなのだろう。

しかし、戦況が落ち着いているとはいえ、どこに間者や刺客が潜んでいるかわからない。
彼女に限って危険な目にあう事は無いだろうが、反対に危険な事をやらかして他人に迷惑をかけそうな気がしてならない。

「…俺が共に行っても構わんか?」
「なんか今とても失礼な疑いをかけられた気がしたぞ」
「気のせいだ」

来るのは構わん、と許可が下りたのでそのまま二人で街まで歩く。

「楊采様に夏侯惇様! こんにちは!」
「やあ、ごきげんよう」

二人に気付いた人々が次々近づいてくる。楊采がやんわり挨拶を返すのを横目に、夏侯惇は無言を貫く。
夏侯惇も食事に出るくらいはするが、あまり街の人々と交流はない。夏侯惇から話しかけるのも必要最低限だし、相手も一人だと近寄りがたく感じるのだろう。
それが、彼女が横にいるだけで人が笑顔で寄ってくるので、複雑な気分だ。

「店はどうだ?」
「お陰様で忙しくさせて貰ってますよ」
「そうか、それは良かったな〜」
「その節はお気遣いありがとうございました」

ひっきりなしに人が話しかけ、礼やら助言やらが行き交う。
街に出る度こんな感じなのだとしたら、屋敷内でしている事とさほど変わらないのではないだろうか。

「楊采…そんな調子で休めているのか?」
「え? 今この瞬間も楽しく散歩しているぞ?」
「……」

仕事馬鹿め、と内心で悪態をつき、夏侯惇はため息をつく。
気分転換の仕方も知らんのかと文句の一つでも言ってやろうと息を吸った瞬間、夏侯惇は足に小さな衝撃を感じた。

「お父さん!」
「!?」

視線を落とすと、足に何かがくっついているのが見えた。
子どもである。少年に見えるが、かなり細くて小さい。まだ十歳にも満たない程だろうか。

「……おい」
「お父さぁんっ! うわああああん!」

待て。誰がお父さんだ。
そう言い返したかったのだが、子どもが大声で泣き出した為それはかなわなかった。
道を行く人々が何事かと囁きながら通りすぎていく。

「ば…馬鹿、泣くな…!」
「うぇっ、ええええん!!」

泣き喚く子どもの扱い方など知らない。固まるしかできない夏侯惇の足にしがみついたまま、少年は喚き続けていて、無理に剥がそうとすれば更に大騒ぎになる。

助けを求めて楊采を見ると、彼女は下品なニヤニヤ笑いでこちらを眺めていた。
しかも少し距離が開いている。

「…楊采…」
「ププッ…お父さんだって…夏侯惇、いつの間に子どもが? 言ってくれれば祝宴開いたのに水くさいなー」
「ふざけている場合か!!」
「うぇえええええんっ!!」

夏侯惇の怒気につられたのか、子どもの泣き声も大きくなった。

「あ〜はいはい、大きな声で泣いちゃって、いやあ元気だねえ〜」

楊采が地面に膝をついて少年の頭をぐりぐり撫で回す。その勢いに驚いたのか、少年の泣き声がぴたりと止んだ。

「さあ少年よ、その大きな目でよ〜くご覧? 君のお父さんはこんなに目付きが悪かったか?」
「……」

子どもの視線を感じて見返すと、大きな目にまた涙が溜まっていくのが見えた。

「ちがう…」
「そうだろうそうだろう。君のお父さんはこんなに目付き悪くないだろう」
「楊采!」

さすがに腹が立って睨むが、途端に子どもが怯えるので慌てて視線を反らす。
楊采の楽しそうな声だけが耳に届いた。

「こっちにおいで」

足から子どもが離れる気配がする。脱力感に襲われながら、楊采の腕の中に収まった少年にそっと視線を送る。
彼は少しの辺りを見回していたが父親は見つからなかったらしく、結局楊采を見上げた。

「お父さん…どこ…?」
「ん? それは私も知らん」
「えぐっ…」
「あはは! こらこら泣くなって! 一緒に探してやるから安心しろ!」
「ひっぐ……ほ、んど…に゛?」
「嘘をついているように見えるのか〜?」

涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、少年は首を横に振る。楊采がその頭をまた撫でながら、反対の手で少年の顔を拭い始める。
おとなしく拭かれているので、一応の信頼は得られたらしい。

「迷子…だよな?」
「そうだな。私を知らないって事はこの辺りの子ではないかもしれん」

よくわからない推論に首を傾げた夏侯惇だったが、少年の顔を綺麗にし終わった楊采が早速歩き出したので慌てて後を追う。

「どうする気だ?」
「子どもの事は、子どもに聞こう」
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