色々夢
□白雲を抱く
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袁紹との会談の準備は公孫越を中心に整えられていた。そもそもが、彼と袁紹とのやり取りで決まった事だからである。
そんな彼とは何かと衝突しやすい自覚のある趙雲には頭の痛い事ばかりで、顔には出さないものの護衛の数や配置に口を出せずに悶々とする日々が続いている。
そこへ、待ちに待った人物が入ってきたのは、会談実現の為に袁紹が城を訪れるわずか二日前の事。
足取りが軽くなったのは間違いではあるまい、と健康的な顔色に戻った主君を見上げて安堵の息をつく。
驚き慌てたのは公孫越であった。
「公孫越。迷惑をかけたね。ここから先は私が引き受けよう」
「な、何故……体調が優れなかったのでは……!?」
「この通り、すっかり良くなったので安心すると良い」
にこやかに告げる公孫賛にはどこからどう見ても一分の隙もなく、見る人が見ればやはり趙雲の主君なのだなと納得のいく笑みであったのだが、趙雲はそれには気づかぬまま準備していた言葉を紡ぐ。
「公孫賛様、では、当日の段取りについて再度ご確認を」
「ああ、頼むよ。不備があるようなら皆も遠慮無く私に言うように。袁紹殿に失礼があってはいけないからね。それと……公孫越にも今のうちに紹介しておこう。入ってきなさい」
公孫賛が、自身も通った扉の向こうへ声をかける。二の句も次げない公孫越が口をぱくぱくとしている中、優美な足取りで一人の女が入ってくる。
室内にいたほとんどの人間が息を飲んだのが、趙雲には伝わった。それに動揺したり怒りをあらわにしないよう、己を律する。
何しろ美しい女だ。その容姿も、その所作も。
これで恐ろしく有能で、武に長けるのだから参ってしまう。
そうとは知らない者たちが突然入ってきた美女に目を奪われる中、公孫賛が何でもない事のように言う。
「彼女は知人の紹介で来てくれた旅芸者なのだが、舞がとても素晴らしいので、袁紹殿にもご覧いただこうと思っている。構わないね?」
「なっ、…な………!??」
公孫越は顔を真っ赤にしていて相当怒っているようだった。その勢いのまま反論するのだろうと誰もがその時思っていた。
しかし。
視線を向けられた女は、巧妙に視線を反らすと優雅に頭を下げ、なおかつ完璧な笑みを浮かべて見せた。ただの旅芸者から彼に話しかける事は出来ないので、精一杯の挨拶というところである。
そんな、普段であれば同じ空気をすう事すら嫌うはずの身分の者から微笑みかけられた公孫越は、何故か、真っ赤な顔のまま一つ頷くと、あっという間に走り去ってしまったのだった。
「おや」
「…まぁ」
「……」
公孫賛は驚いて、そして美女こと楊采は楽しそうに、そんな公孫越を見送っている。
楊采の事であるから、反論してきたらそれはそれで言いくるめる準備が出来ていたのだろう。今浮かんでいるのは別の思惑が動いていそうな笑みである。
「趙雲、彼女を部屋へ案内して差し上げるように」
「はっ」
皆から羨望の眼差し送られつつ、趙雲は楊采を伴ってその場を離れる。
互いに無言を守って歩き続け、周りに気配が無いことをしっかり確認したところで、楊采がはぁ、と満足気な息を吐いた。
「あー、面白かった!」
「お前なあ…」
「ふふふふっ、意外すぎて……趙雲だって驚いて何も言わなかったじゃないか」
どんなに着飾っていて見た目が別人のようでも、こうして二人で話し始めると途端にいつも通りなのが、残念なのかどうなのか、趙雲はうまく言葉に出来ない。
「…俺は面白くない」
「まだ言っているのか。公孫賛様だって許可して下さったのに」
「あの公孫越様を魅了するなど…袁紹様までその姿のお前を気に入ってしまったらどうするつもりなんだ」
「…嫌な事言うな」
それは本気で嫌だったようで、楊采は顔をしかめている。だが、答えはすぐに返ってきた。
「ま、私が今ここでしたいのは、袁紹に幽州を飲み込ませない事だからな。それが叶うなら何でもするよ」
「いや、幽州の為にお前が危険な事をするのは…」
「もしあちらが私を気に入ったというなら、再三手玉に取ってやってから手酷く振ってみるとか楽しそうだな」
「こら、待て」
人として、流石に止めなくてはいけない流れな気がして、趙雲は思わず口を挟む。
だが、楊采の微笑みは揺るがない。
「私は最初から曹操様のものだ。今さら誰のものにもならないよ」
その言葉に胸が痛んだのは、絶対に気のせいではない。
趙雲に出来たのは、それを悟られぬように笑みを浮かべる事くらいだ。
「…分かった。だが、今お前の側には俺がいる事も忘れないでくれ」
「ああ。頼りにしている」
よろしく、と微笑む楊采は楽しそうで、趙雲は結局また胸の痛みを押さえるのに苦労するのだった。