色々夢

□白雲を抱く
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夜になり、戦功を祝う宴が催された。

楊采は曹操の護衛をしていたのだが、その曹操が明日も戦だからと言い出して帰ってしまい、今は完全にやる気を無くしている。
功労者である関羽も招待されたようだが、袁家など猫族に否定的な面々の前にはさすがに姿を現したくないだろう。

主君は居ないが、袁紹を筆頭に、各軍代表者の同行を見張る必要はある。邪魔にならないよう、姿が見えないギリギリの場所で楊采は黙って佇んでいた。
絶対に一枚岩にはなれない、即席の連合軍。発案者の曹操がそもそも馴れ合う気など欠片も無く、またそれは他も同じ。互いに利用しているだけなのだ。言動に注意しなければ、いつ足元を掬われるか分からない危険をはらんでいる。

途切れ途切れに聞こえる会話は、袁紹と袁術の言い争いと思われた。だいぶ酔いが回っており意識する必要も無さそうだ。暇なのでぼんやりと聞き流していた。

「…そこにいるのは、楊采か?」

宵闇に溶け込む楊采のすぐ近くで、ふわりと風が動く。顔を上げると、驚き顔をした長身の青年が立っており、楊采は顔の半分を覆っていた黒布を外して頷いた。

「ああ。よく分かったな」
「各軍の中で黒ずくめはお前くらいだからな。しかし、何を?」
「護衛だよ。万が一に備えてね」

さらりと言ってのける楊采に、趙雲も「そうか」とあっさり頷く。別の何をしていたとしても咎める義務はないだろう。幕舎の中にはもう彼の主君もいない。
とそこで楊采は首を傾げた。

「趙雲こそどうしたんだ、こんなところで?」
「さっき関羽に会ったんだが、お前の事を探していたようだったからな」
「それで私を?」
「ああ」
「…分かった。ありがとう、趙雲」

幕舎の外にいる各軍の兵士たちに、中の主たちを連れ帰るよう伝える。もう殆ど酩酊状態である。ついでに、余っている酒を拝借しつつその兵士たちにも渡す。どれもこれも楊采が用意したものなのでこれくらいの権利はあるはずだ。
振り返ると趙雲はまだそこにいて、楊采が指示を飛ばしているのを黙って見ていた。

「お前はもう他軍の兵士にも受け入れられているのだな」
「そうか? 普通じゃないか?」

こういう時に顔を合わせる護衛兵は苦労する立場だな等々話しかければ案外応えてくれるものである。渡した酒は労い料で、楊采が特別なのではなく、曹操軍の中では当たり前の行為となっていた。曹操はこういう時にとても懐が深いのだ。

何はともあれ、考えてみれば今関羽がどこにいるのか、趙雲に聞かなければ分からなかったので残っていて貰えて助かった。
川辺で涼んでいると聞いて、結局二人で向かうことになる。自然と、話題は関羽の事になった。

「…関羽は、素晴らしい動きだったな。猫族の中でも相当な武術の使い手だと聞いたよ」
「うん。武人にしては優しすぎるのが難点だけどな」
「ははっ。それが関羽の良い所だろう」
「そうだな。だが…」

つい吐き出しそうになったため息を飲み込み、遠くに聞こえてきた水音に耳をすませる。
同時に、趙雲の落ち着いた声も聞こえた。

「……やはり、辛そうだな。お前は関羽たちを戦場に出したくないんじゃないのか?」
「そんな事はない。彼らが活躍して猫族が評価されるのは良い事だ」
「それは…そうかもしれないが…本音はそれだけか?」

趙雲は猫族を蔑んだりしない。主君の影響か、それとも彼本来の性格故か。もしも彼らに拾われていたら、関羽たちは無理に戦場に引きずり出される事など無かったのだろう。
そんな思いも過る中、楊采は結局頷いた。

「ああ、本音だよ。彼らの戦闘能力は、計り知れない。私が軍師と呼ばれる立場である以上、彼らをうまく使わなければならない…が、実力が未知数だし人間社会に慣れていないと運用が難しい。それだけだ」

他軍の将軍に、心の内など話すべきではない。楊采の言葉は淡々と闇に響き、そして、月明かりに照らされた関羽の青白い顔で、彼女にも聞こえたのだと分かった。
猫族の聴力は、人間より遥かに上回るのだ。
最悪のタイミングで遭遇してしまった彼女の様子に気づいて身を固くしたのは趙雲だけで、楊采は表情を変える事なく関羽を見つめる。

「関羽」
「あ…わたし…」
「明日は各軍で大きく三ヶ所に別れて戦うことになる。君たちは──」
「ごめんなさい…明日聞くわ!」
「関羽!」

趙雲が彼女を追いかけようとするのを、腕を引いて止める。曹操軍の問題に彼を関わらせる訳にはいかない。

「…追いかけないのか、楊采」
「フラれたのにしつこくするのもどうかな。作戦については明日、曹操様から説明していただくよ」
「そうじゃない! あのままじゃ…」
「…良いんだよ。彼女は優しすぎるのが難点だ、と言っただろう。少し考えさせた方がいい」
「その為に嫌われ役になるつもりか?」

楊采は答えない。掴んでいた腕を離し、微笑みひとつ残してその場から立ち去る。
その間ずっと趙雲の視線を感じて、とても居心地が悪かった。
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