色々夢

□白雲を抱く
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結果だけ先に言ってしまうと、徐州は落とされなかった。

攻めてきた袁術の軍は、曹操が率いていたような大軍勢ではない。ただ、徐州に元々配されている軍の規模、水準では敵わない相手である。
そこへ加わったのが、機動力抜群の猫族と、楊采率いる、知略に長けた精鋭兵。
とは言え、本来救援に出す軍の規模からすれば僅かなものである。
こちらの兵力を聞いた陶謙は分かりやすく落胆していた。理由を聞けば、救援に来たのは本当に、楊采たちの軍だけだと言うのだ。

そもそも、密書を持った兵士たちが無事に各国へ辿り着けているかが怪しい。
楊采たちだって、行きあった男を偶然助けたからこの事態を知ったのだ。
救援が来ない可能性を更にいくつかあげれば、陶謙は更に落胆したものの、すぐ様その目がしかと現実に向いたので、楊采は彼を追い詰める言葉を飲み込んだ。

我ながら子供っぽかったと反省しつつ、代わりに策を献ずると、陶謙は全て任せると一言返してきた。
これで言質は取れた。

「……という訳で、関羽を筆頭に陽動に動いてもらい、隙を突いて我が軍と陶謙様の即席連合軍で背後から奇襲をかけました。結果、袁術軍は総崩れになり、軍を引いていきました」

言うのは簡単とよく言うが、実際、関羽たちの運動能力を持ってすれば実行するのも易いものであった。
敵の主戦力は把握している。紀霊というたった一人の将である。彼一人で対応できないくらいに戦況を混乱させられれば軍は引く。袁術はいつもそうして戦ってきた。

「…………まぁ、そこまでは予定通りだったのですが」

言い淀んだ楊采に、曹操の眼差しが刺さる。静かに続きを促してくるそれに、気まずさを覚えながら説明を続けた。

「どうやら、陶謙様は城壁で我々の動きを見ていたようで……そこを引き際の袁術軍に発見され、その後討たれました」
「……ほう?」

自業自得っていうんじゃないのか、と素直な義弟が隣の義兄に囁く声がしたが、楊采は内心頷きつつも曹操から目は離さない。
ここは、各将を揃えての報告の場。普段のような気安いやり取りは御法度である。
一段高い椅子に座る曹操から、見下ろされるこの状態は、いつ経験しても緊張する。

「それで、陶謙は何故か劉備に国を譲り、劉備もそれを受けたと?」
「はい。死に際の陶謙様から直接、劉備殿に打診があり、劉備殿も快諾しました」

報告は以上です。そう締めくくると、なんとも言えない空気が漂う。それは、曹操が全くの無表情というのが、一番効いているのだろう。彼がこの報告をどう判断しているのか、皆読み違えぬよう必死なのだ。

そんな中、勇気を振り絞ってとまでは言わないが、沈黙を破ったのは夏侯惇であった。曹操様第一主義を掲げる彼が、曹操の意見の前に何か言うのはかなり珍しい。

「お前は何故戻ってきた? そんな状況ならば、当然やつらに引き留められたのではないのか?」

彼も、猫族との付き合いは長くなる。彼らの動きをよく把握していた。
勿論、彼らは自分たちだけで人と猫族の国を統治など出来ない、と悩んでいる様子だった。だが、徐州の人々は案外、彼らに友好的だった。戦場で、最も危険な陽動という役割を率先して引き受け、見事に立ち回る様子を人々は見ていたのだ。
楊采が横からあれこれ言わずとも、苦戦しながらでも、彼らはきっと何とか出来るし、徐州の人々も彼らの成長を見守ってくれるだろう。

それに、楊采が居れば周りはどうあっても曹操の関与を疑ってしまう。それでは駄目なのだ。

「……まぁ、そうだね。けど、私は彼らの親じゃなければ師でもない。今後敵になるなら情けをかけるのはおかしな話だろう」
「まさか、すがってくるまで放置するつもりか? ……あまり良い趣味とは言えんが」

それには曖昧に微笑みを返し、楊采は再び曹操へ視線を戻す。彼は既に、楊采が今しがた語った内容より数手先、楊采の筋書きの最後に行き着いているようだった。

「……あれをかの地へ誘い込む、か」
「はい。関羽たちがいるなら、呂布は徐州に姿を表すはずです」

呂布の名が出た事で、室内にどよめきが起こる。
呂布は、長安で董卓を裏切り、城内の兵士を殺し尽くした後から、行方が分からなくなっている。
しかし、別れ際も関羽たちを気にしていたし、個人的な約束もある。再び現れるとすれば、可能性が高いのは猫族の周辺。

「あれを討ち取らねば、いくら仕掛けても事態を大きく動かせません。これは好機なのです」

呂布の力は尋常ではない。普通ならば勝てる戦を、彼女一人でひっくり返し、双方に血の雨を降らす。
はっきり言って、楊采とて彼女が恐ろしいのだ。曹操が、彼女を討てとしか言わないように、軍師としても、一人の人間としても、呂布を軍に引き入れる事はしたくない。

「その為に、関羽たちには目立つ囮でいてもらう必要があります」

そう言い切ってしまえば、もはや誰からも異論は無かった。
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