色々夢

□白雲を抱く
13ページ/37ページ

9

楊采が戻ったのは、日が落ちる少し前であった。疲れた表情であちらこちらに座り込む兵士たちを横目に、楊采も重い足取りで奥へと進む。

「おかえり、楊采」
「え、あ、ああ…うん?」

驚いて顔を上げると、先程の声の主である趙雲が腕を組んで壁に寄りかかっていた。
薄暗いので表情は読み取れないが、漂う気配からは怒気のようなものが感じられる。

怒られるような事をしただろうか。宣言通り日が落ちる前に戻ったので問題はないはずだ。
はて、と首をかしげる楊采に、つかつかと歩み寄ってくる趙雲。

「来い」
「あ、おい…」

問答無用とはこの事であろう。楊采の腕をつかんで歩き始めてしまった為、ついて行くしかなくなってしまった。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「何かあったのはお前の方だろう」

ぴしゃりと言われて、楊采は口を閉ざした。先程のはやはり怒気で間違いない。彼は楊采に対してとても怒っている。

「おかしいとは思っていた。いくら街に詳しいとは言え、曹操軍の将の中でお前一人がここに残るなんて」
「いや…その…」

気づけば、人のいない奥の方まで連れてこられていた。歩みを止めた趙雲に合わせて立ち止まると、彼は楊采と正面から向き合った。

「怪我の事を聞いた」
「…そうか」

まあそうだろうと思っていたので、特に驚かない。頷いた楊采を見下ろしながら、趙雲は小さく息を吐いた。

「だが、俺は今、それを隠していた事を怒っているわけじゃない。最初に言ったはずだ。存分に俺を使って欲しいと。覚えているか?」
「勿論。もう十分使ってるじゃないか」
「いいや。お前は俺の使い方を全く分かっていない。軍師失格だ」

予想外の切り口から責められ、思わず反論したくなる。が、楊采は眉をひそめるだけに留めた。口を挟んだら余計怒られそうな雰囲気だったのだ。
普段、度が過ぎる程温厚な彼だけに、怒りを含んだ声で言い募られると案外堪える。

「お前はよく、後方で指令を出しているらしいな」
「…まぁ」
「今回それをしないのは、街の人々が心配だったからというだけじゃない。進軍できなかった悔しさを紛らせたかったから…違うか?」
「……」

その通りである。
言われた瞬間心の奥で頷いてしまったので、実際頷かないまでも否定もしない。
私情を挟んで指示を疎かにするなど、軍師にあるまじき行為である。特に今のような緊急事態や、それを諌められる人が居ない時に。

言われてから気づくほど、余裕が無かったらしい。楊采は力なく視線を落とす。

「…俺にも、主君を守り、戦で武勲をあげたかったというその気持ちは分かるつもりだ。だが──」
「…もう、いい。ごめん。私が悪かったから、全部言おうとするな…」

言われる度に惨めになっていく気がして、楊采は聞きたくないと首を振った。だが、趙雲の手が肩に乗り、声が近づく。

「すまない。これだけは言わせてくれ。皆、お前を頼りにしている。お前の言葉、行動全てが希望になっているんだ」
「……っ」
「楊采。お前の怪我の事を教えてくれたのは、ここに残っているお前の部下たちだ。皆、とても心配している。その気持ちを分かってやって欲しい」

楊采は黙って頷いた。趙雲に顔を覗き込まれていて、その距離ではきっと涙が溜まっているのも見えているだろう事がとてつもなく恥ずかしかった。

分かったからそろそろ離れて欲しい。
そう思うのに、趙雲はにこにこ笑って動こうとしない。しかも何故か頭を撫でられている。
育ての親でもある曹操に撫でてもらうのとは違うくすぐったさがあって、楊采は居心地の悪さを感じた。

「…………趙雲……それ…わざとか…?」
「ん? 何がだ?」
「!! わざとだろう!」

思いきって手を払いのけてやると、彼が楽しそうに声を出して笑い始めた為、楊采は憤慨した。

「いいだろう…明日からこき使ってやる…馬車馬よりもな!!!」
「ああ、楽しみにしているぞ」
「もう寝る!!」
「おやすみ」

趙雲の妙に温かい視線を背に感じながら、楊采はその場を後にしたのだった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ