色々夢

□小話(共通√)
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小話4


洛陽の街にも随分慣れてきた。
関羽は散策しながらそれを実感したが、複雑な気分である。

ずっと隠れて暮らしてきた猫族である自分が、人間の暮らしの中心地とも言える場所を歩いている。まだ時折石を投げられたりするものの、人々の反応もやや落ち着いてきたように思う。
もし、このまま人の社会で暮らしていくことになったら。
最初はただ恐ろしいと感じでいたその可能性が、現実味を帯びてきている。多くの不安はあるが、ここに暮らす人々との触れ合いの中で、いつか分かり合えるのではないかという希望も、本当に僅かだが心の隅で生まれはじめている。

「関羽」
「!」

静かな、独特の低音で響く柔らかい声。
街の喧騒の中でそれを捉え、関羽は驚いて顔を上げた。

「……え?」
「浮かない顔だな。可愛いのに台無しだ」

声の主は、勿論楊采だ。だが、今関羽の目の前にいるのは、匂い立つ艶を放つ美女で、現に、通りすぎる人が惚けて彼女を見つめては周囲の人にぶつかっている程。

関羽が知る楊采は、柔らかく美しい顔立ちはしているものの、年季の入った男装のおかげか美男と言って差し支えない雰囲気を持っている。
こんなにも、それこそ関定あたりが飛び上がって喜びそうな美女のイメージとは真逆だったのだ。

固まる関羽の前で、美女がくすりと妖艶な笑みを溢す。ふわりと花のような香りが漂ったと思った時には、美女は関羽の耳に唇を寄せていた。

「ちょっと、野暮用の帰りでね。驚いた?」
「!?」
「あ、もしかして耳弱い?」
「ちょ、ちょっと?!」

美女が楽しそうに耳元で囁き、その度にびくりと肩を震わせてしまう関羽を見てまた笑う。
かと思うと、あっという間に手を引かれて人のいない小路まで連れてこられてしまった。
なるほど、先の読めないこの身のこなしは確かに楊采であると認めざるを得ない。

「楊采…野暮用って?」
「ふふ、ちょっとした潜入調査、かな?」

潜入調査と聞いたところで何をするのかよく分からないが、いつだったかも外回りがとうとか言っていたので、曹操の側近は多才なのだなと関羽は目を瞬かせる。

「実はね、正規の仕事じゃないんだよ。だからこの格好の事は誰にも内緒」
「え、じゃあ…曹操にも?」
「絶対内緒」

重々しく頷くと、楊采はちらりと周りの気配を探るような様子を見せ、直ぐ様横の小さな門を開けてその奥へ身を滑り込ませる。手を繋いだままの関羽も必然的に後に続いた。
中に入ると、建物が現れ、楊采は部屋の一つに迷わず足を踏み入れていく。その部屋の奥にもう一つ部屋があり、彼女は「ちょっと待ってて」と言い置いて奥へ消えてしまった。

見渡すと調度品はとても品が良く、手入れも行き届いている。一体誰の屋敷なのだろうと首を傾げつつ、勝手に触れるのも憚られて、関羽は大いに戸惑った。

仕方なしに佇んでいると、入ってきた方の扉に誰かが近づいてくるのに気付いた。奥に消えた楊采はまだ戻らない。焦って椅子の後ろに隠れると、その人物が笑みを溢すのがわかった。

「そのように焦らずとも、貴女様の事は存じております」
「えっ…」
「私はこの屋敷の者です。楊采殿の味方と思っていただけますか」

やって来た男は思わず聞き惚れてしまいそうな朗々とした声の持ち主で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

「どうぞ、お掛けください」
「あ、ええ」

事情が飲み込めないまま、勧められた椅子に腰を下ろす。
その間にも、男は後ろに着いてきていた使用人から盆を受けとり、三人分のお茶を入れている。
美しいその手捌きを見つめていると、ようやく奥の扉から楊采が戻ってきた。すっかり、いつもの男装に戻っている。

「お待たせ」
「楊采、どういう事?」
「一緒にお茶でも飲もうと思って。このお茶美味しいんだよ」

まるで我が家にいるかのようなくつろぎっぷりである。別段怒る訳でもなくお茶を差し出しているから、この男性と楊采は本当に気心の知れた者同士なのだろう。
受け取って口に含んだ茶は、甘くて美味しかった。

「……して、楊采殿。聞くまでも無さそうですが、如何でした?」
「うん。万事上手く行った。彼女もじきに戻ってくるだろう」
「ああ、ありがとうございます!」
「礼を言うのはこっちさ。いつも世話になってるんだから。加えて今回は随分楽しませて貰ったしね」
「それはそれは…事後処理が恐ろしいでしょうね」
「ふふふ。皆頑張って仕事したら良いさ」

楊采の応答を聞く限り、彼女がどうやら相当よからぬ事をしてきたらしいのは関羽にもわかった。
聞いていて良いのかと困っていると、男性が話しかけて来た。

「実を申しますと、先日私の妻がとある方に拐われまして」
「…え!?」

とても穏やかに話しているので聞き流しそうだったが、関羽は驚いて声を上げた。
その反応に笑みを深くして、彼は続ける。

「困っていた所、楊采殿が助けてくださったのですよ」
「ここ数日似た報告があがってたから気にはしてたんだ。で、犯人の屋敷に潜入して滅茶苦茶に暴れまわってきた。奥方は今、騒ぎの連絡を受けた夏侯惇たちが見つけて送ってくれてるよ。犯人の方は屋敷が滅茶苦茶になった上、誘拐の罪が発覚し捕縛される、と」
「楊采、あなたね…」
「ああ、丁度帰ってきたようだね」

外が騒がしくなり、使用人が数名駆けてくる足音がする。
それを機に茶を飲み干した楊采が音もなく立ち上がった。

「我々は裏からおいとまするよ」
「楊采殿、恩に着ます」
「御安い御用さ。さあほら、奥方がお待ちかねだぞ」

楊采に促され、彼は嬉しそうに部屋を出ていく。
ほんの少し間を開けて、二人も部屋を出て来た道を戻った。
屋敷の中はお祭りのように騒がしくなっていて、落ち着いて見えたがやはり妻の事が相当心配だったのだろう。

「彼は商人でね。関羽たちに送った武具は彼に手配してもらったんだ。まあ曹操軍の兵士はほぼ皆世話になってるんだけど」
「あの武具とても助かってるわ!お礼を言えば良かったわね…。ねえ、誘拐犯ってどんな人だったの?」
「うーん。まあ、役職的には曹操様よりも偉い立場の方さ。何の証拠もなくいきなり踏み込めなくてな。仕方ないから中で別の事件を起こしてみた」
「…そう、なのね」

人間社会は立場がどうのと気にしなければならないのがとても理解しがたい。

「ちなみに、私は今休暇中だ。だから、万に一つも私がこの件に関わっている筈がない、という事になる」
「…黙ってろって事よね?」
「半分正解。だって私は今日、関羽とお茶を飲んで寛いでいたんだ。そうだろ?」
「それもそうね。分かったわ」

漸く腑に落ちて、関羽は笑顔で頷きを返した。



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