色々夢

□秋水の誓い
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25-2

周囲の敵があらかた居なくなったところで馬を降り、改めて三人が顔を突き合わせる。

「張飛、無事で良かった!!」
「ぅうう姉貴ぃっ!!」

全身で喜びを表現しかけた張飛だったが、ハッと動きを止めて泣きそうに顔を歪めた。

「あ、あのさ! オレら、敵に誘導されて前線まで来ちまって、乱戦になって…どこかに楊采がいるはずなんだけど…見てないか?」
「…っ!」
「あ、夏侯惇!」

馬に飛び乗り、すぐに走り出す。が、途中で馬が悲鳴を上げた。
矢を受けてしまったのだ。

「…っ、すまない…お前はここにいろっ…!」

言葉が伝わったのか、震えながら数歩、後ずさる。鼻筋を撫でてやり、夏侯惇は自分の足で走り出した。

「!…見つけたぞ…!」

やがて見えてきた最前線で、一人きりで戦う楊采がいた。
いつもの黒ずくめではない。遠目には表情がわからないくらい、顔も服も血で汚れている。

「あいつ、また…!」

曹操と対峙していた時と同じだと、孤独で鋭い剣筋を見て思った。
夏侯惇が良く知る、曹操仕込みの優雅な動きとは違う。余裕も容赦も全くない、ただひたすら残酷に相手の命を奪う戦い。
いや、相手だけではない。あれはいずれ自分の命すらも、捨ててしまう。

「楊采!」

この距離まで近付いていれば、いつもなら気付く筈だ。 それでも楊采は止まらない。
周りが見えていないのだ。
一人でも多く殺す、その事だけに囚われているから。

今や、孤立した彼女を呂布軍の誰もが狙っている。彼らは、相手が曹操軍の楊采であると知っているのだろうか。

いや、先程張飛が言っていた、誘導とやらが本当ならば、知って挑んでいるに違いなかった。

曹操の右腕である楊采の首は当然ながら相当な価値がある。
万が一、楊采が討たれたりすれば曹操軍が被る損失は計り知れず、討った者の名は大陸中に轟くだろう。

「っ! そんなことさせるかっ…!! おい! 目を覚ませ楊采!!」

早く正気に戻さねば。
その一心で、彼女に向かって走りながらひたすら叫ぶ。
何度目かの呼び掛けで、びくりと楊采の体が震え、振り向いた。
やっと声が届いたのだ。
しかし、途端に楊采の足元がふらつく。集中が切れたと同時に体力も切れたのだ。

「おい──!」

同時に、視界の隅でキラリと光るものが見えた。何なのかを考える間はないが、避けなければならない危険なものであると直感が告げていた。

だが、既に自分は楊采を抱き止めようと腕を伸ばしている。

──間に合わない!

夏侯惇は、そのまま楊采を抱きすくめた。

「がっ…あ…っ!!」

顔の左側に激痛が走った。
何とか顔に手をやって初めて、自分の目に矢が刺さったのだと分かる。
それを自覚した瞬間、全身から一気に熱が引く。それなのに、矢の刺さった目の回りが恐ろしく重く、そして燃えているかのように熱かった。

「ぐ…ぁ…あ…っ…!」

もしかしたら、受けたのは毒矢なのではないか。
そんな思いが頭をよぎり、思いきり矢を引き抜いた。

そして溢れる血を押さえようとした傷口に、自分のではない手が触れる。

「…夏侯…惇…っ」

狭くなった視界の中、これ以上ない程間近に現れた切れ長の目が、悲しみに染まっていく。

「楊…采…」

激痛の中、夏侯惇の意識はそこで途切れた。
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