色々夢

□秋水の誓い
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朝になるのを待ち、関羽は楊采を探して屋敷内を歩き回っていた。

曹操には先程会い、幽州に帰る事と世話になった礼を述べてきた。
色々と文句は言われたが無理に引き留められる事もなくて正直意外に思ったが、事前に楊采から聞いていたからだと教えてくれた。

彼女は本当に、いつ寝ているのだろうというくらい仕事をしている。しかも、周りの人々が動くのを予想して先回りしてばかりだ。楊采がとても優秀な人材だと、この兗州での日々は本当にそれを実感するものだった。

それに、関羽にとって初めてできた人間の友人。彼女と別れるのは勿論辛い。

だが、それでも猫族の未来を考えるなら一緒に戦うという選択は出来ないと思ったのだ。
曹操は猫族全てを戦いに駆り出さねば気が済まないだろう。関羽一人ならともかく、戦いを望まぬ猫族の仲間にそんな事をさせる訳にはいかないのだ。

「おい、こらそこの女! さっきから何うろちょろしてるんだ!」
「あ…夏侯淵。楊采を探しているの」

夏侯淵は相変わらず怒りながら近付いてくるが、この態度もさすがに慣れたものである。
すると、楊采の名を出した瞬間、夏侯淵が表情を曇らせた。

「どうかしたの?」
「…別に。楊采なら、兄者と話してるけど…」
「けど?」
「もう半分くらい寝てたぞ」
「え?」

どうやら昨晩何かあったらしく処理に追われて寝ていないらしい。その何かが何なのかは睨むだけで教えてくれなかったが、二人の居場所まで案内してくれた。
そこだ、と夏侯淵が示した先に部屋があり、近付くと確かにぽつりぽつりと二人の声がする。そっと覗くと、机に突っ伏す黒装束が見えた。

その向かいにいた夏侯惇がこちらを見た為、楊采ものそりと起き上がる。とろんとした目が、関羽を捉えて細められた。

「……ああ、関羽。帰るのか?」
「ええ、最後にお礼をと思ってあなたを探していたの」
「そうか。律儀だな」
「なっ…!?」

こくりと頷いた関羽に、楊采は笑みを返す。落ち着いた彼女と反対に、夏侯惇たちが揃って驚きの声を上げた。

「帰るだと? どういう事だ!?」
「楊采、お前ずっと軍に誘ってたじゃないか! 何で引き留めないんだっ!!」
「何だ二人して。嫌だとか言ってたくせして実は関羽に軍に来て欲しかったのか? うわー、めんどくさ」
「断じて違う! だが、今この状況でここから去るなど…曹操様に対する裏切りに他ならないだろう!」

夏侯惇が立ち上がって叫ぶ。彼らしい論理と世話になりながら間者をしてきた後ろめたさで関羽は困って口をつぐむ。
そんな関羽を見ながら、楊采がのんびり答えた。

「あんまりしつこくして嫌われたくないしね。それに、曹操様の許可は取ってある。堂々と帰って良いんだよ、関羽」

曹操の名前を出されれば、夏侯惇たちも黙るしかない。
いつも通りの彼女に安心して、関羽は頭を下げる。

「楊采…本当に、何から何までありがとう」
「礼には及ばん。ただ…もし今後猫族が曹操様の覇道を妨げるようなら、今度は徹底的に滅ぼす事になる」
「え…?」

あくびをしながら言うその光景とあまりに似つかわしくない恐ろしい台詞が聞こえて、関羽は固まった。
いや、関羽だけではない。夏侯惇らも衝撃を受けた様子で固まっている。
それに気付いているのかどうか、眠そうに頬杖をついて彼女は淡々と続ける。

「以前君に言ったはずだ。私が劉備殿を斬らなければならないような事にはさせないでくれと。私は最大限努力したつもりだ。受け入れなかったのは君。曹操様にはさっきのを条件に君を帰す許しを頂いた。それだけの事だ」

楊采は微笑んだままなのに、それはとても冷えたものだった。いつも奥底に忍ばせている優しさも、そこにはない。
これは敵を見る目だ。曹操の為に全てを切り捨てる、軍師として。

「楊…采…」

目の前が真っ暗になり、絶望感が関羽を襲う。
そこに何故か、戸惑いながら夏侯淵が口を挟んできた。

「お、おい楊采…冷たすぎるぞ。お前たち喧嘩でもしたのか?」
「それは…」

昨夜、庭で話した事を思い出して、関羽は言葉に詰まる。
楊采はあんなに必死だったのに、よく話を聞かずにこちらが断ってしまった。あの時彼女が言いたかったのは、こういう事だったのだろう。

びくびくしながら答えを待っている夏侯淵を見やり、楊采が二度目のあくびを噛み殺す。

「しょうがないだろう…関羽が嫁に来てくれない上、実家に帰るって言うんだ」
「何の話だ」
「あとな、悪いけど泣きそうな関羽すっっごい可愛かったー」
「変態か!!」

くだらないやり取りを始める夏侯淵と楊采。もう先程の凍りそうな空気が消えてなくなっている。
彼女の、この切り替えの速さにだけは慣れる事はないだろう。
少しだけほっとしたが、あれが決して今のような悪ふざけで出た言葉ではないのは事実だ。

「あー眠」
「俺が喋ってるのに寝るな!」
「夏侯淵。これあげるからちょっと黙ろう。そして寝かせて」
「菓子で釣ろうとしても無駄だからな!!」
「と言いつつ食べてるし」

喧嘩というより楊采が夏侯淵で遊んでいるだけである。その二人を呆れたように横目で見やり、夏侯惇が関羽に向き直った。

「楊采の先程の言葉、よく胸に刻んでおけ。曹操様やあいつの手前、今は俺も何もせん。だが、もし戦場で会ったならば容赦はしない」
「夏侯惇…」
「…あいつの気持ちも考えてやれ」

相変わらず、彼の視線も言葉も刺がある。だが、それがふと和らいだ気がした。

「……ええ。分かっているわ」

改めて皆に礼を言うと、関羽はその日のうちに兗州を出立した。
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