色々夢

□秋水の誓い
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届いた書簡は、詩に対する文句の嵐と、くれぐれも問題を起こさないようにという念押しが長々と綴られていて、まるで親が出来の悪い子供に宛てるような内容であった。

楊采は一応最後までそれに目を通してから、盛大に机に突っ伏した。

「…むぅ…あれ傑作だと思ったのに」

曹操の言い付けは守らねばならない。とにかく休めと言われているのだが、とにかくやる事がないので、だらだらと街中を歩いたり詩を作ったりしてみている。
だが、もう限界だ。
のそりと起き上がると机の前で腕を組み、何をしようかと真剣に悩む。

屋敷を出た後、戻れないならいっそ愛馬でどこまでも駆けてみるか等と半分以上自棄になってこの街まで来たのだが、とても平和なので感覚が狂う。兗州は今でも袁紹の治める隣国冀州と小競り合いが続いているであろうに。

勿論この国も国境で小競り合いはある。だが、人々の暮らしに影響が出る程ではないのだ。
国政が安定している証拠なのか、それとも上に立つ者の雰囲気がなせる業か。

「…楊采、入っても良いだろうか?」
「って、もう入ってきてるじゃないか」

始めだけ扉の向こうで聞こえた声が、言い終わる時には既に間近でしている。
半眼で見やるが、相手は気にした様子もなく(気にして欲しい)にこにこ笑って手土産らしきものを机に広げ始めた。

「どうせ、暇しているのだろう? 差し入れだ」
「…嫌な予感しかしないなー、その差し入れ」

曹操の書簡をしまい、仕方なく目の前に置かれた地形図を眺めやる。
この地、徐州の国内を記したものである。

「休暇中の軍師殿に、少々お知恵をお借りしたく思ってな」
「休暇っていう言葉の意味分かっているのかな、趙雲殿? 何度も言うけど敵軍の軍師なんですけど?」

顔をひきつらせながら言ってみるものの、趙雲の笑顔はそんな事では崩れない。一音も聞こえていないくらいの勢いで流される。
穏やかでお人好しな天然男だと思っていたが、なかなか良い性格をしている。この笑顔に騙されてはいけない。とても危険だ。さすがは歴戦の勇将。
楊采は諦めて先を促した。

完全に思い付きでやって来たのだが、特に準備をしなくても徐州に入るのは簡単だった。入ってしまうと、政治の中心である下邳に潜伏するのはもっと簡単で、この国大丈夫だろうかと心配になったくらいだ。

とは言え、関羽たちに会う気にはなれず、取り敢えず、来る日も来る日も街をふらふら出歩いていた。変装しているしどうせ誰も気付かないだろうとたかをくくっていたのだ。
ところが予想に反して趙雲にあっさり見つかってしまい、以来こうして彼が会いに来るようになった。

他の人には言わないで欲しいという楊采の頼みは、きちんと守ってくれているようでそれは安心している。

ともあれ、趙雲が頻繁に訪ねてくるおかげで、徐州の国内事情にたいへん詳しくなってしまった。
国内に呂布が滞在していると聞いた時は、驚くやら呆れるやら、複雑な気分になったが。

ぐったりする楊采へ爽やかに笑いかけ、趙雲は手早く、徐州軍の兵力など、必要な情報を地図に展開していく。
分かりやすく纏められたそれを聞いていると、楊采も段々と内容に集中してしまい、気づけば結局、徐州軍の配置や敵と遭遇した場合の対応策について真剣に議論していた。

「なるほど、その策の方が被害が少なくできるだろう。早速明日、練習してみよう」
「あーしまったぁ! 敵を強くしてどうするんだ!」

今更我に返って頭を抱えるが、もう遅い。思い付いた策は全部話したし、そして趙雲ならばきっと全て記憶して自分のものにしてしまっただろう。

「やはり楊采は凄いな。とても良い策が次々出てくる」
「そりゃどうも…」

曹操の元に引き取られてからこんな事ばかりしてきたので、だらだら過ごすよりこちらの方が気が休まっているような気がする。だから趙雲が訪ねてくるのを完全拒否できないのだろう。
曹操には、怖過ぎて報告できないと改めて思う。徐州にいると伝えただけで既に怒られているのだから。

「ところで、いつ頃までここに居られそうなんだ?」
「うーん…未定だな。一生戻れないかもしれんし、明日には戻るかもしれん」

休暇中と言っても、表向きの処分は解雇である。連絡は取り合っているが、いつ復帰の許しが出るのか、皆目見当がつかない。しかし、今すぐ戻る事は無いだろう、と書簡の内容を思い出して憂鬱になる。

「…でも、さっきの様子だと袁術との直接対決が近そうだ。巻き込まれると厄介だから、悪いがそうなる前に徐州から退散しようと思っている」
「そうか。残念だが、引き止めるのは難しそうだな」
「うん…それで、次は幽州に行こうと思う」

趙雲がハッと身を固くする。それを見て、楊采は自分の予想が正しい事を確信した。

「ずっと戻って居ないのだな。兗州にも幽州の情報はなかなか届かないが、少し前に公孫賛様が体調を崩されたと聞いた。もし、趙雲が何か伝えたい事があれば預かるが…」

趙雲の事だ。猫族を放っておけないのだろう。おそらく公孫賛も同様に。
僅かに目元を潤ませた後、趙雲は首を横に振った。

「俺にも、その報告は届いている。とても心配だし、気持ちはとても嬉しいが、俺の言伝てなど持って乗り込んだらお前の身が危うくなるだろう」
「そんなのは、どうにでも…」

女装して忍び込めば何とかなるのではと思っているのだが、趙雲は再び首を振ると真剣な顔で言う。

「危険な事はしないでくれ。だが、もし出来たら…お前の目から見た幽州の様子と、公孫賛様の状況を教えてくれないか。勿論、無理せず分かる範囲で良い」
「御安い御用さ。引き受けよう」

断られても元々そうするつもりだったので、楊采は承諾した。
ありがとう、と微笑む趙雲はとても嬉しそうだった。
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