色々夢

□短編
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屋敷の門前にいる夏侯惇に声をかけてきたのは、散策から戻ってきた楊采であった。
半分ほど魂が抜けかかっている夏侯惇と、涙を浮かべながらも目を吊り上げる若い女性。
妙な二人を前に、楊采は首を傾げた。

「なんだ、どうしたんだ?」
「楊采か…」

話しかけられてようやく、夏侯惇が少し考える素振りを見せた。正直、戦の後より疲弊している。
それを見て、楊采は女性ににこりと笑いかけた。

「すまないがちょっと時間をもらうよ?」

女性の返事も待たず夏侯惇の腕を引き、女性に背を向ける。こういう時の有無を言わさぬ態度は楊采ならではであろう。同じ事を夏侯惇がやっても、恐らく反論にあっているはずだ。

「で?」
「………郭嘉のやつに弄ばれて、怒鳴りこんできた」
「……あー! 例の女遊びか。それはそれは…というか、未だに夏侯惇が全部対応してるのか?」
「ああ…そうだ」

この街で起きる軍内の大抵の事は耳に入っているのだろう。
楊采は怒るでもなく呆れるでもなく淡々と頷いた後、憐れみの眼差しで夏侯惇の肩を叩いた。

「郭嘉、郭嘉ね…全くしょうがないなあいつは。じゃ、今回のところは私が彼女に言って聞かせてくるよ」
「は?」

任せなさいと何故か自信満々で楊采が身を翻す。止める間もなかった。
そして女性に向かって、何やら小声で話を始めた。

「……?」

女性は始めこそ怒っていたが、すぐに真っ青になり、次に羞恥に頬を染め、最後には切ない表情になって走り去っていく。

「なっ…!?」

夏侯惇に戦慄が走った。
未だかつて、夏侯惇が相手をしてあれほど短時間で立ち去った女は居なかった。郭嘉を出せと喚き散らし、散々愚痴を聞かされ、最後にはすがりついて泣かれるのだ。
それを、この一瞬で、しかも相手の怒りを別の感情にすり替えた上で立ち去らせるとは。

夏侯惇の心境など露知らず、楊采がしたり顔で戻ってくる。

「…ふふふ…思ってたより素直な娘だった。郭嘉ってああいう感じの娘が好みなのか…案外可愛い趣味してるなー」
「おおお前、一体何をした!?」
「くくく…教えてあげるからとりあえず中に入ろうか」

楊采の言動は明らかになにか良からぬ事をしている時のそれだ。
夏侯惇は緊張を募らせながら彼女の後を追いかけた。



…郭嘉は、軍師でありながら、誰が見ても可憐な容姿をした少年である。本人にその趣向はないものの、その容姿故に男色家から常に狙われている。
彼はそういった者たちの誘いを決死の思いで受け入れ、同じように狙われている兵士たちが被害に遭わないよう守っているのだ。
軍師として兵を守りたい一心で耐えてはいるが、それでも耐えきれなくなると無意識に女性を求めてしまう。しかし、またあの者たちに呼ばれ、身体を弄ばれる日々。
身も心も限界に近い。
自分の幸せをとるか、軍の風紀を守るか。
彼は今、その狭間で必死に戦っている。
嗚呼、なんと健気な少年なのでしょう!

「っていう設定にしといたからね、郭嘉」
「この人最低なんだけど!!」

楊采の説明を聞き終えて、郭嘉が立ち上がって叫んだ。
夏侯淵は、理解の許容範囲を超えたらしく先程から動きが止まっている。賈栩は、始めから今も特に興味無さそうに夏侯惇の横で茶を飲んでいた。
楊采は満面の笑みだ。

「身も心も限界だから、多少のおいたは許してねって言ったらあっさり頷いてくれたぞ? あー素直な娘でもう、すっごい騙しやすかったー!」
「もうやだこの人!」
「あとね、ここだけの話だから絶対内緒だよって付け足しといたから〜……明日には街中の噂になってるんじゃないかな?」
「うわああああああ!!!」

鬼がいる。
夏侯惇はそう思ったが口に出すのは止めた。
これに懲りて郭嘉が更生すれば良いだけの話だ。でなければ、郭嘉は今後も楊采の玩具である。
やや復活した夏侯淵が、ぎこちなく首を動かし、夏侯惇に囁いた。

「なあ、兄者…軍師って、皆あんなに変わってるのかな…」
「さぁな。とりあえず、楊采の方がだいぶ上手のようだ」

郭嘉が珍しく本気で泣きそうな顔をしているが、楊采は高笑いを止めようともしない。
それにしても、怒り心頭の女性を前にしてよく一瞬で先程のような嘘をすらすら語れるものだ。

「楊采の事だから、今後も郭嘉が仕返しを企む隙すら与えないんだろうねぇ。そのうち、本当に郭嘉の心が折れるかもしれないよ?」
「え…」

興味ないのだろうと思っていたが、一連のやり取りはもう一人の軍師にもしっかり届いていたらしい。
賈栩がいつもの穏やかな表情で物騒な事を言い出したので、夏侯家の二人は返す言葉を失う。
精魂尽き果てた郭嘉の姿が容易に浮かんだ。

「…有り得るな……」
「郭嘉…骨は拾ってやるぞ…」

部屋には、楊采の楽しそうな笑い声がまだ響き渡っていた。
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