色々夢

□ハルカナルユメ
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【砂月消失編・裏】


大きな月から降り注ぐ光が、水面に一直線の道を作っている。音もなく、時間を止めたままの暗い海は、いつだって、痛いほどの静寂に満ちていた。

だから、その浜辺にちょんと座った那月が砂時計を返して遊んでいるのは、とても異質なものに見えた。

「那月…」

つい今まで、ライブで感じていた幸福感を胸の奥に潜ませ、砂月はそっと呼び掛ける。
二人が意識を持ったまま揃うなど、本来ならあり得ない。
この空間は、那月の奥底にある辛い記憶そのもので、砂月が生まれ、普段を過ごしていた場所。そして、砂月が表にいる間、那月が閉じ籠っていた場所。
砂月自身は、幾度となくここですやすやと眠る那月を見ていたが、これまで那月が目覚めた事などなかった。

砂を払いながら立ち上がった那月と向き合う。
ふわりと笑んだままの那月。
眉を寄せ、固く唇を引き結んだままの砂月。
同じ顔であるのは間違いないのに、対面しても別人のようなのがとても不思議だった。

「那月…」
「駄目ですよ」

ようやく言葉を紡ごうとした砂月の唇をおさえ、那月が優しく笑う。

「謝っちゃ駄目です。さっちゃんは僕の為に生まれてくれたんですから」
「けど…」
「謝るのは僕のほうです。さっちゃん、今までごめんね。そして、ありがとう」
「……っ」

するりと、優しく紡がれた謝罪と感謝。
とても嬉しいはずなのに、その言葉が胸に突き刺さるのは何故だろう。受け入れてしまったらぽっかりと穴が開いてしまいそうで、とても怖かった。
それを見て、那月が少し寂しそうに笑う。

「さっちゃんの歌…みんなとの音楽…全部聴こえていました。あんなふうにみんなに思ってもらえて、僕たちは、世界一の幸福者ですね」
「……ああ」

あのような仲間を得られたのは、那月が努力したからだ。那月は今度こそ、あの仲間たちと共に幸せにならなくてはいけない。

だから、伸ばされたあの手は取らなかった。
途中で意識を放してしまったが、まだライブは続いているはずだ。
二つの意識がここに揃ってしまうと、表では今どうなっているのだろうか。
また春歌を泣かせてしまったのは確実なのだろう。

「次にお前が目を開ける時は……俺はもういない」
「さっちゃん、それは違いますよ」

ゆるりと首を振り、那月は砂月の手をとった。無意識に固く握りしめていた砂月の拳を、優しく撫でる。

「僕たちは一緒に幸せになるんです。そうでなきゃ意味がない。いなくなるなんて悲しい言い方はしちゃダメですよ」

だから、と言葉を続けた眼鏡越しの視線の強さに、砂月は否定の言葉を飲み込むしかなかった。

「だから…僕にさっちゃんをください。さっちゃんが見てきたこと、感じてきたこと、伝えたかったこと……全部」

消えるのではなく、一緒になる。
那月が言いたい事は分かる。
だが、砂月が那月の中に還る事で大きな負担をかけるのは目に見えているし、その結果が彼にどんな変化をもたらすのか全く分からない。

今度こそ那月の心が崩壊してしまったら。この暗い海に飲み込まれてしまったら。
勿論、那月の事は信じている。大丈夫だと思うからこの決断をしたのだ。それでも、大事な那月の事となるとどうしても躊躇いが残る。
眉を寄せたまま考え込む砂月の目の前で、那月はただ微笑んでいた。

「……大丈夫。僕にはさっちゃんがいます。みんなだって、居てくれます。それにね、ほら、聞こえるでしょう?」
「! これは……」

指摘されるまで分からなかったその音色は、確かに一つ一つ、あの場にいた皆が未だ奏でているものだった。

「あいつら……」

暗い海に響くその音が、胸に蘇る熱が砂月の迷いを壊していく。

「僕たちの曲です。ハルちゃんが僕たちの為に作ってくれていた、新しい曲」

あの激務の中、仕事とは別にこっそりと春歌が書いていたのを、砂月は知っている。無茶をするなと言いたかったのに、楽譜と真剣に向き合う横顔を見たら何も言えず、少しずつ曲が完成していく様子はただただ楽しみだった。

哀しみが混ざった強く優しいメロディは、後半に掛けて空へと上るような盛り上がりをみせていく。
激しさと、優しさ。
砂月と那月の音が、重なって、融け合って、メロディを織り上げていく。

「ハルちゃんは、いつも僕たちの欲しい言葉を、欲しい音楽を……力をくれますね」
「……そうだな」

彼女と那月が出会えた事は奇跡だったのか、運命だったのか。
静寂を打ち破るその音色に導かれ、砂月は顔を上げた。

「…さぁ。みんなに会いに行きましょう、さっちゃん」
「…ああ」

こつんと額が合わさり、自然と瞼が降りる。暗い海しかなかったはずなのに、瞼に温かな光を感じる。
那月の体温は心地良くて、融け合っていく感覚は微睡みの中にいるようなふわりとしたものだった。

「那月……ありがとう」
「さっちゃん、ありがとう」

那月が微笑んでいるのが、目を開けなくても分かる。
そして、自分自身も。


さよなら。



ありがとう。



どうか、しあわせに。



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