色々夢

□ハルカナルユメ
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◎那(砂)春【砂月消失編】1/4


何日目になるだろうか、とカレンダーに目を向ける。
那月を守る名目で表に出たまま砂月が生活を送るようになって、随分と経ったように思う。
実際はほんの数日だ。だが、ほんの一瞬表に出る以外那月の奥底でたゆたっているだけの彼にとって、一日一日の濃さはとてつもないものだった。

ソファに身を沈ませて、深く息を吐く。心も体も疲れきっている。自然と吸い込んだ空気には紅茶の香りが混ざっていて、優しく沁み渡っていく気がした。
キッチンに立つ春歌が黙々と紅茶を入れているのだ。その音と香りを感じながら、砂月はぼんやりと天井を見上げた。

春歌は、那月のパートナーである。グループで活動している間はグループの専属作曲家として扱われるが、那月は自身の作曲家としてだけではなく、恋人としても春歌を選んだのだ。
春歌もそれに応え、更には砂月の存在も受け入れた。
那月と砂月の根本は同じだと彼女は言った。だが、だからといって二つの人格に等しく愛情を注げるほど器用な人間ではない。
きっともう限界だろう。春歌のそれは本来那月にだけ向けられるべきものだ。

いつ、那月を返せと言われるのだろうか。
彼女が悲しげに目を伏せる度、怯える自分がいる。それでも、砂月はこの数日を過ごし続けた。

「……俺は…消えようと思う」

沈黙の中こぼれ落ちたその言葉に、返答はなかった。目を閉じていても、彼女の静かな視線を感じる。砂月は皮肉げに口元を歪めた。
この別れは決して唐突なものではなく、砂月という意識がこの世界に生まれた瞬間から決まっていた事。その時が今だっただけだ。

この数日でもよくわかった。那月はもう一人ではない。早乙女学園で出会った仲間たちがいる。彼らと、そして春歌がいてくれさえすれば、那月は砂月が守らずとも自由に生きていける。この目で見て、体感してそれが確かめられれば、今度こそ消えると決めていたのだ。

いや、とそこで砂月の思考が一瞬止まる。守られていたのは砂月の方だったのではないか。
もうとっくに強さを得ている那月が、彼を守ることでしか存在できない弱い弱い砂月を包み守ってくれていたのではないか。
だとすれば。

広がる失望は痛みを伴い、胸元を強くおさえる。

「俺は…」

だとすれば、那月の成長を誰よりも阻んでいるのは、砂月だ。

「……砂月くん」

柔らかな声が、曖昧になりかけていた砂月の意識を捉える。目を開けると、予想通りの笑顔がすぐ側にあり、温かな手が、胸元を掴む那月のそれに重ねられていた。

「……」

離れろと言いたいのに声が出ない。
春歌の小さな手。魔法のような音色を生み出す細い指先。力任せに振り払うのは簡単なのに、かつてはそうしていたはずなのに、今の砂月にはもうできない。それが分かっているのか、どうせわかっていないのだろうが、葛藤する砂月を置いて、ふわふわした笑顔のまま春歌が言った。

「砂月くん…ライブをしませんか?」
「何…?」

意図が分からず眉を潜める砂月に、彼女は続ける。

「砂月くんも、皆さんと一緒にずっと頑張ってきた仲間です。消えてしまうとしても、仲間であることに変わりはありません。だからちゃんと皆さんの前で区切りをつけませんか?」
「区切り?」
「ライブといっても、大がかりなものではなくて…砂月くんを知っている方だけお招きして、それで」

触れあった手に力が入る。それが震えているのに気付いて、砂月は彼女を改めて見つめた。

「曲は…っ、砂月くんの、歌いたい曲にしま…しょ、う…ね?」

彼女は涙を流すまいと必死に堪えて笑顔を浮かべていた。
砂月の方が堪えられず、衝動に任せて彼女を抱き寄せていた。華奢な体は抵抗なく腕の中に収まり、程なく、涙に濡れた小さな声が漏れ聞こえてくる。

「分かっていました…砂月くんがいつか消えてしまうって…ここのところずっと砂月くんのままだったのは、その準備の為だったんでしょう…?」
「!」
「那月くんが成長するために必要なんだって…ちゃんとわかっています…でも」

腕の中で春歌が俯く。その拍子にポロポロと落ちる涙は止まる様子がなかった。
那月と共にいる時の春歌の幸せそうな笑顔が浮かぶ。出会った時から、那月はいとも容易く彼女の笑顔を引き出していた。
こうして泣かせてしまうのは、いつも砂月だ。

「砂月くん…」

春歌が顔を上げる。 潤んだ瞳が砂月を映し、切なげに細められた。

止せ。

砂月の脳内で警告がする。だが、彼は止めなかった。その後に続く言葉が、砂月が今一番欲しいものだと分かっていたから。

「お願いします…もう少し…あと少しだけ、ここにいてください…」
「……っ」

砂月はゆっくりと春歌の涙を拭い、また彼女を抱き締める。
何度も何度も、奥底で待っているはずの那月に赦しを請いながら。
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