色々夢
□秋水の誓い
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董卓が討たれた。
その一報は大陸中を震撼させた。
しかもそれが部下であった呂布の裏切りによってであったという事実がより恐怖を助長させている。
既に呂布は長安を捨て旅立っており、その後の足取りは誰にも掴めていない。董卓を裏切ったのも狂気に任せた行動と見られ、大陸の制覇に興味がないのでは、という噂話が人々の間で囁かれた。
あながち間違った見解ではないだろう。戦場の彼女を見る限りは。
となると、誰もが大陸の覇者となる機会を得たという事になる。
曹操は早速、徐州への侵攻を決めた。
準備に追われる屋敷の内外は夜になっても騒然としていて、様々な人の気配で溢れている。
「ここにいたのか」
昼間から姿の見えなかった関羽を庭で発見し、楊采は静かに近付いた。
途端、困り顔になる彼女に苦笑を返す。
「幽州に帰りたいと思っていたんだろ?」
「…ええ」
徐州が落ちれば、次に曹操が向ける矛先は幽州になるかもしれない。そうなれば、猫族は再び棲みかを奪われる可能性がある。いや、それよりも戦に関わらなければならなくなる事の方が重要か。
彼女の考えがそこまで至っているかどうかはともかく、間者としてここにいるのだから、早く戻って知らせたいのだろう。
「…なあ、関羽。これが最後のお願いだ」
「楊采…」
「回りくどいのは嫌だから、そのまま言うよ。一緒に来てくれ。期間は、そうだな…呂布を討ち取るまででもいい」
呂布の名を聞いて、関羽が息を飲むのが分かる。
「呂布は君を欲している。君のいる場所にきっと現れる。それでも君は帰るのか? 幽州も、猫族も巻き込んで、皆で呂布を迎え撃つのか?」
「……っ」
「皆を巻き込まない為にどうするべきか…分かるだろ?」
長い沈黙が訪れた。
関羽はしばらく俯いていたが、潤んだ瞳で楊采を見上げた。
「わたしだって、皆を戦わせたくない。でも、やってみなければ、わからないわ…わたしたち猫族が皆で力を合わせれば…退けられるかもしれない」
「本気でそう思っているのか?」
僅かに怒気を含ませた楊采の声に、関羽の耳がピクリと動く。だが、彼女も引く様子はなかった。
「本気よ。わたしたち皆一緒なら、どんな苦難だって乗り越えられる。今までだって、そうしてきたわ」
「関羽!」
「それに、わたしがここにいると呂布が来ると言うなら、そのせいであなたたちが危険に晒されるという事でしょう?」
「違う。我々は呂布を倒す事も目的としている。今の曹操軍は、他のどの軍より強靭で勢いがある。ここにいた方が確実に呂布を討てる!」
ああ、こんな言い方では駄目だ。そう思っていても、出てしまった言葉は無かった事にできない。
関羽が悲しげに首を横に振る。
「楊采…わたし、一緒には行けないわ。やっぱり、曹操の元で戦う事を受け入れられない。帰って、幽州を昔のように皆が静かに暮らせる場所にしたいの。その為に出来ることをしたいわ」
「関羽…けど…」
出かかったその言葉は、飲み込む。今それを口にする事は楊采の矜持が許さなかった。
「………いや…止めよう。ごめん、疲れているみたいだ…怒鳴ってごめん」
「楊采…」
「今は皆ピリピリしてるから、夏侯惇たちに見つかると思いっきりどやされるぞ。気を付けろよ」
「……」
関羽を置き去りにして、楊采は屋敷に戻る。
疲れているのは確かかもしれない。武具の手配やら、軍の編成やら、他の細々した内容まで、まだたくさん仕事が残っている。
せめて猫族がこちら側にいてくれたら、その仕事の一端は片付くのに。
「ああ…楽しようとしたから罰があたったのか…」
先程の勧誘はあまりに自分本意で、関羽の性格も意思も無視したものだ。感情的に問い詰めたって、断られるのは当然だ。
どうも、関羽の事になると冷静な判断が下せないらしい。友人というのは厄介だ。
ともかく勧誘に失敗したのは曹操に報告しておこうと歩いていたら、誰か探していたらしい文官が緊迫した表情でこちらを見ていた。
脳内反省会が中断される。
「どうした?」
「その…曹操様に来客があり、お知らせしておこうかと」
「んー? もしかして曹嵩様、か?」
「はい。先程突然…」
どくんと、全身が脈打つ。しかし楊采がそれを表に出す事はなく、ごく自然に笑みを返した。
「そうか…父子の対面を邪魔してはいかんな。知らせてくれてありがとう」
「はぁ…その、よろしいので? この後、軍議の続きがあると…」
「進軍が始まればゆっくり会う時間もなくなる。今日はもう良いだろう。明朝に延期と他の将軍たちに伝えてくれ」
「畏まりました」
そして、楊采は向かいかけていた曹操の部屋から、自室へと行き先を変えた。
曹嵩は曹操の父であり、楊采も何度となく顔を合わせている相手である。
「こんな時に…こんな時だからか…」
恐らく、彼ら父子が顔を合わせるなら奥の間か、もしくは更なる最奥。
側近ですら通常は入れないような空間にいる。今の曹操ならば、特に。
「………まさか今日とはな」
ため息を飲み込み、楊采は扉にもたれかかった。