pkmn
□フスベ女の思路
1ページ/1ページ
フスベは寒い。
特に冬は、山間の町であるので寒風が吹き下ろされ、フスベの土地を凍らすのだ。
多くのドラゴンタイプの生息地でもあるが、冬だけはその姿も見えない。それほどに寒い。
だというのにわたしの手にはドラゴンポケモンが触れている。
吹きすさぶ吹雪の中を飛んで来たのだと男が言う。男の肩には雪が積もり、服はうっすらと凍っているようであった。
「カイリュー、暖炉の傍においで、一緒に座ろう。体もこすってあげるから」
「おい俺は……」
「アホ」
睨み付けるわたしを、男はやれやれ、と。仕様のない、とでも言いたげな表情で流す。腹が立たないでもなかったが、凍傷になられても困るので、毛布を投げた。天下のチャンピオンが業務に支障を来すこととなれば一大事だ。
ワタルに毛布を、カイリューにはチルタリスの羽毛からできた毛布を渡す。いくら出来が良く優秀な個体であるからといって、無敵なものなどないのだから。このカイリューも主人の無茶を、律儀にも義理立てて此処まで来たに違いない。
鍛え抜かれていようと、易しい道中ではなかったはずだ。
来れたとして、体力など無いに等しかろうに。無二の相棒を無下に扱うとは。叱りたいでもあるが、それはわたしの役目ではない。
わたしの役目は、後ろから覆い被さってくるワタルをソファに座らせることであった。申し訳なさそうにわたしを伺うカイリューに手で大丈夫だと示しソファまで引きずる。引きずっている間、ワタルは死んだようにピクリとも体に力を入れず、喋らなかった。
「疲れた」
盛大にソファに倒れ込んだ男は顔を埋めると、弱々しい声でそう言った。わたしが何も言わずその頭を労うように撫でると男からは深い息がすらすらと漏れ出でる。
特にかける言葉もみあたらない。みつけられない。たった一言すぎるのだ。疲れた、という、たった数個の音の羅列から推し測れるものは何もない。
なのに、カントー・ジョウト地方リーグを統べるチャンピオンは、たったその一言を溢すためだけにわたしの家まで来るという
ワタルはそのたった一言を言いたいがために、自身もポケモンも酷使する。
この訪問だとて既に数を重ねているのだ。それが極寒の冬だろうがなかろうが、ワタルは必ず、思い立ったその時にわたしの元へとやってくる。
とにかく冷えた体を温めるべきだろうと、わたしはワタルを支えていた腕を離した。
「お茶でも淹れようか、熱いの」
立ち上がろうとするが、ワタルは腕を掴んで制してきた。
見上げてくるその瞳が怨めしげでさえあったので、わたしは思わず目を見張った。
「いい。行くな」
みすてるな。
――そう言われたようで、ぎくりと、背筋に冷や汗が通る。
そんなつもりはワタルにはないだろう。だが、その目がわたしを咎めているのだ。張り詰めたものを含んだ、剣のある、危うい目でワタルはわたしを睨む。言い様のない罪悪感を抱かされ、進めようとしていた足も動かすに動かせない。
「…どちらかの具合が悪そうならすぐ動くぞ、こら」
渋々わたしが頷くと、ワタルは握りしめていた腕を下ろした。
疲れたふうに、だらんと腕をソファから垂らす。覇気も何も感じられたものではない。わたしは深々とソファに沈むその頭を撫でてやるしかなかった。
ワタルがわたしの下を訪れるようになったのは、数年前―――二人のトレーナーに敗れ、それでもチャンピオンとして座しだしたあの時からだ。
最初の挑戦者にチャンピオンとして戦い、敗れた。
次期チャンプの登録と告知のための、その空いた時間に次の挑戦者が現れワタルが敗れ、チャンピオンに正式に成った最初の挑戦者も敗れた。王権はたった一時で3人の間を転がり落ちた。最後に勝ったそいつのものになる。
だが予想外なことに、そのトレーナーは辞退をしたという。順当として、次に移行するのはワタルに勝ったトレーナーである。そのトレーナーの答えは「要らない」であった。こいつに負けたのに貰う"お下がり"は要らないと、言った。
破棄に破棄を重ねると再び戻ってくるのが、ワタルだった。文字通り転がり落ちた、王座である。一転の曇りもない、頂点に立つはずの王座が、たったの一瞬で土埃にまみれた汚泥に変わったのだ。
しかし頂点に代わりはない。さらには頂点に座すものは強者でなくてはならない。強者が座していなくてはならない。トレーナーの模範として目標としてその席にチャンピオンを欠かしてはならないのである。その地方最大の戦力が此処に在ると、アピールしなくてはならない。
ワタルが断れば協会はまさに、チャンピオンの居ない状態に陥るのだ。
ワタルの意志は関係ない。協会がワタルの力量、今までの貢献度までも考慮すると、再びワタルをチャンピオンとする事に躊躇はなかった。
ワタルもワタルで、責任や義務のもつ意味に人一倍忠実で理解をもつ人だったから、チャンピオンに戻ることを是とした。
ただそこには矛盾があった。
王座には、トレーナーの頂点に立つ者が立つべきである。
だがワタルは。
その時のワタルはどうだ。
1人負け2人負け、踏み台とされ、上に立たれた。それでもチャンピオンに再び立った時、ワタルは頂点ではなくなった。
ワタルは最強ではなくなった。
チャンピオンに立つべきでなくなった。
立つべきでない者が、チャンピオンとして君臨する。その事実を、ワタルは気づいていた。
見落とせばいいものを、理解があったせいで。本来ならば盲点である筈の事実にワタルは気づいてしまっていた。
それでも君臨しないといけない。その矛盾に曝され、責任感が強いばかりに君臨した。
無用とされ、お下がりとされ、貶されに貶され変貌しきった頂点に
再び戻れと謂われ、再び戻ると宣言した その時の気持ちは。どんなだ。どんなものだった。打ち捨てられて汚れきった使い古された唾を吐かれて地べたに堕ちた王座に再臨する気持ちは、どんなものだった。
わたしには分からない。
ひとつとして、
この苦悩する男の力になれる物がない。ないのだ。
同い年で、同郷で、ワタルと違って無責任で不義理なわたしがワタルの胸中を共有できる筈もない。代わることなどできはしない。
責任義務で雁字搦め縛られたワタルが、時たまわたしの無責任さを羨んでやって来る。重責とは無縁のわたしをワタルは求めてやって来る。
わたしは重責とは無縁でなくてはならない。
ワタルの気持ちなど分かろうべくもないのだ。
分かってはならない。
分かろうとしては、いけない。
だが、
ワタルがわたしの元にやって来る。
その事実が、まざまざと告げるのだ。
今のチャンピオンは、ワタルにとって重荷でしかない。
それをわたしは分かってはならない。だからわたしは素知らぬフリをしてワタルを受け入れる。受け入れるしかない。
「…おい寝んな風邪引くぞ」
「……引きたいんだ」
「ざけんな」
きっといつか、ワタルをチャンピオンから引き下ろす。誰かしらが来る事を信じるしか、ない。
その時が来たらどうかその誰かよ、ワタルを休ませてやって欲しい。