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□どうか迷子にならないで
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最初に告白をしよう。
私は犯罪者だ。
私は悪党だ。
私は、蜘蛛の糸を待つ。

私の妹は運がなく、男運もなかった。清廉な妹だったが集る男は糞以下だった。
妹の稼ぎ扶持を宛てにして飲み食い賭け。
欲望のままに動き子どもを仕込んだ。養育だなんて度外視だ。子が産まれても男は遊び呆けた。
男が満足するにはあらゆる物が必要だった。金も。食べ物も。住まいも。全て。
けれどあらゆる物が男にとっては足りなかった。物に溢れて溺れている男は、滑稽なことにその渦にいて貧困を叫ぶのだ。愛すらその手にはあるというのに。

妹には乳を出すための食い物すら与えられない。
それでも妹は愛を以って男を信じていたのだ。

夫はきっと、今にでも真っ当になって帰ってくると。信じて僅かな物すら差し出した。

信じたいのと笑う妹の、やせ細った頬と指は、皮と肉の代わりに愛だけを包んでいたのだ。
さて現実的な話、人間そんなに急に代わりはしない。
だから私は盗んだ。
パンを1つ盗んだ。
妹が食べて満たされ、その子も妹の乳で満たされる。どうか健やかに。そう願って、代償に、私は鉄格子の後ろへと入った。刑務所では人間はきっかり分別される。人間か、犯罪者か。

おかしなことに、人間とそっくりな見目だが人間ではないのだ。私は。
それ故に幾度と、際なく辛酸を舐めた。憎悪が腹に募り怨みが燃えて叫びそうだった。それでも耐えたのは妹からの便りがあったからで、そこには赤子の無事と成長も記されていた。
仮釈放になっても変わらない。手紙には心配と、会いたいという一言が添えられるようになったが。
それでも私は行かなかった。
妹の負担にはなりたくない。年長者の、ただ一心の意地だった。何より仮釈放とは罪人の裏付けであり、身分証明書も犯罪者として扱われる。
迫害されて荒れた心地で、汚いままで妹にだけは会いたくなかった。

しかし、手紙が途絶えたとなると事情も変わる。
気を引くために手紙を書かないなど、そんな事は思いつかない妹だ。何かあった。何かがあった。焦る私は周囲に助けられ、身分を変え、私に与えられた物と同じ物を周りにも返しながら妹の家へと行った。

妹の家はとても寒々としていた。
彼女は死んだのだとすぐに分かった。

そして妹の夫と、妹の子がいた。
すぐに分かった。
そっくりの金の糸、綺麗な目、すっと通った鼻筋。暗闇の中で爛々と光る目だけはどこか暗く鋭く、妹には似ていなかった。

「君がディオ?」

私はこの子が怯えないように距離をあけて屈んだ。
疑念の光は妹には終ぞなかったものだった。あれば、きっと妹は死ななかったろうに。

「そうですが、あなたは?」
「君のお母さんに頼まれて迎えに来たんだよ。おいで。今日から私が君の父となり母となろう」

ディオは少し俯いて、顔を上げると頷いた。幼いのに賢い子だ。
私は同じように頷きかえし妹の夫だった者を見る。何か喚いていたが献身の礼にといくらか渡せば大人しくなった。

小さな手を握って私は馬車へと乗った。

道中、窓から見える景色のうち、ディオがとくに注視しているものがあると気づいた。
目に留まった店に馬車を付け、本を何冊か彼に買った。ディオに一冊与え、あとは重いだろうと代わりに持って馬車へと戻る。

「これから何処へ行くのですか」
「家だよ、といっても修道院の庭師のだけど。まだ手を付けてなくてね。今日の記念に木でも植えてみようか」
「記念?」
「君が迷子にならずに家に来てくれた事。それと、迷子にならずに家に帰れるようにね」
「…迷子になるほど間抜けじゃあありません」


ぶっすりと頬を膨らますディオに笑みが溢れたが、ますます不機嫌になったので謝罪と、頬や髪を撫でて宥めるのが残りの道中だった。

ディオは賢い子だった。
字を知らないと言うので字を教えた。本を読みたいと言うので代わりに私が声に出して読みあげた。
読む時は仕事終わりの夜、暖炉のそばが常だった。
小さなディオには眠い時間だろうに、知識欲に動かされる彼は私の帰りを待っていた。

「ディオ、眠いなら膝においで」
「…いい。僕は大丈夫…」
「君はまだ小さいから、私の膝に乗っても苦じゃないよ。眠ったらそのままベッドに連れて行ってあげる」
「…絶対にイヤだ…僕は…甘えるほど小さな子どもじゃあないんだぞ」

そう言って膝に頭を乗せて微睡むディオに、知られないように笑みを浮かべる。
彼の一挙手一投足に胸が温まる。淋しい心に柔らかな火が灯る。どうか健やかに。
そう願って日々を繰り返す。

ディオは綺麗な字を書くようになり、私に代わって本を読むようになった。
褒めて頭を撫でてやると、子供扱いだと不満げにしながらも受け入れる彼が愛おしいと思う。
彼は立派に、そして優しい少年へと育った。私の日課を手伝ってくれるほどだ。パンと物語を求めてくる子どもの相手も、字を覚えた頃からするようになった。

「いつも手伝ってくれるけど、遊んでもいいんだよ。思えば私は友人を作る暇さえあげられていないなあ」
「何言ってるんだい。したくてしてるんだから、止めないでくれよ」

本当に優しく育った。

ありがとうと伝えるとディオは照れを悟られまいと横を向く。それから小さな声を絞り出した。

「…時間、というなら久しぶりに本を読んでほしいんだ。いつも読んでるのよりも難しいのでも、何でも」
「そんな事でいいのかい。…それに、考えてみたら不要な心配だったね。君にはジョナサンがいるし」

からかい混じりにディオの友人を挙げればぐわり、とディオは目を見開いた。


「やめてくれ!あいつは友達じゃないからな!」


闘志も隠さずに宣言するが、私からすると照れ隠しもいいとこだった。
ジョナサンが来るとツンケンしながらも話しているのだ。歳相応にしている姿はこちらとしても微笑ましい。

分かっていると頷くと、分かっていないと反論される。
結果、ディオを宥めるのに読み聞かせよりも時間を要してしまった。話の半ばでディオは夢へと旅立った。すうすうと心地のいい寝息が静かに部屋へ満ちる。
少し重くなった体を抱き上げ、ベッドへと寝かせた。

もし本当に友人とは違うのだとしても素直に感情を発露するのは喜ばしかった。ディオは少し聞き分けのよすぎるきらいがあるから。
今の生活が楽でないのを察しているのだろう。

だからジョナサンの事でムキになろうとも、ディオが容姿に釣り合った様を見せるのは私にとって安らぎなのだ。
どうか健やかに。
しかしそう祈るには不安が残る。

仮釈放中に姿を消した私は追われる身だ。

ディオは賢い。いつか私の隠している秘密にも気づくだろう。その前に過去を清算したい。私の罪が彼の成長を妨げてしまうかもしれない。

それはとても、恐ろしかった。


「顔色がよろしくないようだが、大丈夫かな」
「ジョースター卿。ああ。いえ、私は大丈夫です。ただ気がかりが…」
「ふむ…。どういう類のかな?私でよければ力になれるかもしれない」


遠くでは祈り終えた信者達が教会から出てきていた。ジョースター卿も先ほどまで中にいたのだろう。
心配そうに私を見るジョースター卿に、私は少しだけ気がかりを話すことにした。

ジョースター卿は、息子のジョナサンとディオがよく遊ぶのを知っているためか、保護者の私も何かと気にかけてくれる。
彼は祈りや教えにも熱心で、貴族であることも驕らない。私は少しだけ真実も混ぜて話すことにした。


「実は今度仕事を変わることになりまして、遠く、長くなりそうなんです。
私はまだしも子どものディオには辛いだろうと思って…」


ジョースター卿は真摯に耳を傾けている。
遠くからジョナサンが「父さん!」とこちらの方に駆けてきた。ジョナサンの後ろをディオが不服そうに追って来ていた。遊んでいたのだろう、男の子らしく2人の服には草や枝がついている。
2人は我々が談話中だと分かると脇に立って待つ姿勢をとった。


「私と違ってディオには折角友人もできたので連れて行くのも可哀想に思えて…」
「なるほど。それなら、どうだろう。私がディオ君を引き取るというのは」
「まさか。いいんですか?」
「ジョナサンにも同年の子から学んで欲しいと思っていてね。ディオ君とは気も合うようだし、それに」

私の友人の助けになりたくもあるから。
と、ジョースター卿は魅力たっぷりに微笑んだ。

内心それに安心する。実のところその言葉を願っていたのかもしれない。
ジョースター卿なら身元も人柄も信頼できる。胸を撫で下ろしていると、腕に一際大きな痛みが走った。

ディオだ。
小さな手の、どこにそんな力があったのだろうか。彼はギリギリと私の腕を掴んで締め上げた。
離れたくないと言っているようで申し訳なくなる。これは清算という私のエゴだ。ディオを育てる義務以上に私が彼に親愛を知ってしまった。そして罪人であるままディオに接する後ろめたさを。

「ディオ」

私は清算し、彼と新たに人生を歩み、見送りたいのだ。

なんと浅ましい事か。結局自分の都合で私はディオを傷つけている。
情けない私をディオはどう見たのか。彼は痛いほどの力加減を緩めた。それでも真っ赤な瞳はこちらを見て雄弁に訴える。
ジョースター卿は様子を見て、諭すように私たち2人は話し合う時間を持つべきだと残して帰っていった。


そうして私とディオは一晩話明かした。
いつも想っていること。想いは変わらないこと。必ず会いに行くこと。
伝えれる限り言葉と態度で示す私にディオは一度だけ強く目を瞑ると、頷いた。
ずるいと分かっていながら、私はディオに打ち明けないままに罪を清算するのだ。その晩、話し合いのあとディオを寝かせると私は自室で手紙を認めてジョースター卿に宛てた。ディオに打ち明けられない私の狡さを、そこに記して。
あの紳士ならば真実を知ってもディオに不自由はさせまい。

真実を知るのは、ジョースター卿と、この十字の枷のみでありますよう、私は祈りを込める。

どうか、神様どうか彼を真っ当な日の当たる場所に導いてください。
どうか私とは違う道を歩ませください。



「知っていたさ」



神の膝下で眠る私に、誰かがそう呟いた。
 

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