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□マイヒーロー
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*パトロクロス成代注意


「俺から離れるなよ…頼むから…」
「いや、ええと、…うん」


暗い声色だった。俯いて表情は見えない。しかし声色から察するに意気消沈しているだろう。
驚いて、彼の懇願にはおざなりな返事となってしまった。
朗々とし、自信に満ちた彼には珍しい。すっかり弱った声だった。


「…何だよ」
「いや、驚いて。だって君、ずっと前線にいたじゃない」


それがどうだ。
この有様だ。
周囲に敵影はなし。危険もない。伏兵に出会い、隊の皆と命を懸けて食い止めると励起したのがついさっきだ。
すわ壊滅かと思った矢先、舞い戻った英雄アキレウスの暴風じみた活躍で、あっという間に安全地帯が形成された。
壊れた敵兵の槍、戦車、防具、そして斃れた敵兵。数的不利に立たされていた戦況が、たった1人の存在でひっくり返った。返せる存在だ。だから、彼のいない前線はさぞ混乱しているだろう。

命の危機が去って、落ち着いた今になりそんな懸念がジワジワ染み出してくる。

しかし修羅の如く暴れた英雄は弱りきった表情で傷の手当てをしている。周りがつい惹きつけられ、心配してしまうような顔で。実際窮地を救われた幾人は心配そうに挙動した。しかし当人はおかまいなしに傷の確認に終始している。
自分が傷を負ったかのような痛ましい表情で心配し、「離れるな」と囁いたのを、しかし首を振る事で否定した。


「…んだよ。嫌なのか」


顔をあげたアキレウスは拗ねていた。不機嫌を隠さないまま不満を落とすが、それでも手当の手は止まらない。
甲斐甲斐しく傷を見つけては賢者直伝の処置を施していく。

感謝の気持ちを込めて、アキレウスの髪に手を伸ばす。
くしゃりと混ぜる。髪を引っ張らないよう、優しく撫でる。梳かす手にほろりと心を溶かした彼は、機嫌を少し直したようだ。

だからその落ち着いた瞬間。
感情が凪いだそのタイミングを見計らって声をかける。


「ダメだとも。アキレウス。君は求められるべき英雄だ。
今最も渇望されているのは、前線での活躍じゃないか」
「……けどよ」
「うん?」
「俺は、俺の思う場所に向かいたい。それだけだ」
「ああ。そうだね、君らしいよ」


なんとも英雄的で、なんとも人間的だろう。
そんな言葉をゴクリと呑んだ。

大勢に愛されるべき運命に生まれた彼は、その言葉は、まさに英雄そのものだった。
けれど違う。
悲しさと労わりに満ちた眼差しは、大勢のためのものでなく一個人へと向けられている。とても人間的だ。

アキレウスの関心はたった今、この時は1人の人間に集中していた。
情に厚い男だが英雄としては見せられないなと内心思うが、どうにもくすぐったくて言うには憚られる。


「どこか違和感があるか?見せてみろ」


ひとつの挙動すら心配の種となる。
苛烈なくせに優しい男だ。


「違うよ。手際の良さに感心しただけ」
「っはは!そうだろう、何せ先生直伝の…直伝の……うっ」
「また顔色変えて…先生さんの話をするとアレだね、里心つくねアキレウス」
「ばっ、違うつーの」


色々あったんだよ、色々。
言葉を濁しながら視線をそらす。明快さを好むアキレウスだが歯切れが悪い。
賢者の教え方に興味を持つが、昔話に花を咲かせる時でもない。遠くの喧騒が風に乗って届いてくる。戦いは続いている。

傍らに置いていた盾と剣を持つ。


「ありがとうアキレウス。そろそろ行くね」
「はっ!?ばかやろ、万全じゃないだろお前は!」
「うーん。でも行くよ。悔しいじゃない、我らが英雄の友を語る男が腰抜けだなんて言われたら」
「はっ、」


盾の握りを何度か触って確認する。滑り止めに巻いた革紐はすんなり馴染んだ。剣の柄も同じように確認してから握り込んだ。
準備は万端整った。
立ち上がると、惚けるアキレウスの旋毛が見える。座り込んだままの彼の旋毛をつついてみるが反応はない。


「我が友人は、これから窮地に向かう友に助力してくれるかな?それとも向かいたい場所は別?」
「は、」
「うん」
「はははははははは!!!」


アキレウスは空に笑った。カラッとした笑いだ。

一頻り笑うと指笛を吹く。澄んだ音が高々と響き、自慢の戦車と雄々しい馬たちが駆けてくる。
身軽に飛び乗ったアキレウスは、戦車の縁から乗り出して手を伸ばす。


「行くぞ、我が友。何処までも駆けていこう!お前の行くところが俺の戦場だ!」
「これは…うん、これは…うかうかしてられないなあ」


にやけてしまう口元にゆるゆると下がる目元は、締まりなく情けないものだ。しかし抑えられない。
眩しすぎる手は、けれど友の一歩を待っている。
たった一騎で戦況を返せる男は友を待っている。

擽ったさに負けないように、アキレウスの手に己の手を重ねる。途端、彼の笑みが強さを増した。
ぐいと引き上げられた瞬間、風を切る。戦車が駆け出した。
アキレウスの雄姿に鼓舞された味方が後に続く。


「だから英雄してるまま君らしくもいてほしいんだよねぇ、私は」
「どうした?」
「いや。行こうと言っただけだよ」

そうかと返ってくる。なんの疑いもない信頼が寄せられている。
擽ったいと思いつつ、悪い気はしないのでアキレウスに合わせて雄叫びを上げた。
 

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