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□刀剣乱舞詰め合わせ
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・山伏国広


前髪が伸びて視界が悪い。髪も全体的に伸び始めてきている、そろそろ切ってもいいだろう。今度の休みあたりにでも美容院に予約して切りに行こう。
指先で前髪をかきわけながら道を歩く。まったく見栄えが悪いわけではないがうっとうしい、などと往来で考えていたせいか、通行人と肩がぶつかる。気を抜いていたせいで思いのほか大げさにつんのめる。あわや地面というところで手と膝をついて留まった。謝る声が遠ざかりながら降ってくる。反射的に同じように謝罪を返しながら額を抑えた。ぶつかった勢いの割に気を抜いていたからか、手と膝に力が入らない。メリーゴーランドみたいに景色が慢性的に揺れている。気持ち悪い。

「ここにいましたか」
「え?…すみません、ちょっと気分が。すみませんがどちら様で、」

大きく振り切れて、視界が途絶えた。
最後に目に留まったのは黒いスーツ、黒い革靴を履いた複数人の脚だった。


「ようこそ審神者さま。歓迎いたします。お加減の方はいかがでしょうか」
「…えっ、あれ。ここどこ?何?これ、喋るの?ロボッ、ぉ、うぇ」


喉の粘膜をずり上がってくる内容物にたまらずえづいた。口を塞いで耐えようとするがあまり意味はない。押し出そう押し出そうとする胃袋が伸縮を繰り返して、抵抗むなしく押し負ける。水っけの多い音を立てながら内から外へと流れていった。胃酸と酵素のせいで口腔が酷い臭いと味に苛まれる。そのうえ気分も悪くなっているようだ。メリーゴーランドからジェットコースターくらいにはなってるかもしれない。酷く目が回る。
開目一番に語り掛けてきたキツネのような何かはじいと吐瀉物を見て、そのまま視線を流してくる。妙な隈取やとってつけたような体の大きさに釣り合わない不安定そうな頭部がやけに気持ち悪い。見た目の好悪でなく、気分を悪くさせるものがある。ガラス玉のような目玉の感動のなさはいっそ無機物の体であれば違和感がなかった。キツネはじいと見たまま口を開いた。やはり喋ったのはこれで間違いなかった。

「あまり能力の高くない方なのですね。審神者さまにはこれから髪を伸ばしていただきます、少しは足しになるでしょう。ある程度伸びるまでは刀剣を増やすことは推奨できません。転移による脱力、疲労が認められます。しばらくは体力を戻されるのに尽くされるとよいでしょう」

まず自分には覚えのない呼称を使わないでほしい。
あと初対面でけなすな。
それと不穏な単語を並べるな。

言いたいことはあるが出てくるのは嘔吐感と胃液ばかりで言葉はつっかえていた。まるで出ない。腹の方も、きりきりと痛みながらまだ残っているものを掻き出そうとするだなんて器用なことをしている。キツネの言う通り、体力を戻すべきなのだろう。得体のしれないものに進言される程度には体調の悪化をきたしている。とても実感できる。
キツネ、後に改めてこんのすけと名乗られるのだが、それの言う通りに身体に鞭打って布団のある部屋まで行って、敷いて、寝た。私室にあたるだとか奇妙な説明は耳から追い出して眠りにふけった。
それが初日のことである。
まともな説明がなされたのは、その次の日の、夕も暮れるという時間に起きた時であった。不明瞭な思考のまま説明されたので、まともだとも言い難いが、しかしそれでも初日に比べればまだましなやり方だった。

まずキツネの名前はこんのすけ。霊的なものを0と1に解析、分解、構築してできたものだという。これである程度のデータ共有や更新が容易にできたりするのだとか。次に経緯の説明。審神者の素質あったために時の政府から徴収されたらしい。黒服の脚たちは迎えで、気分が悪くなったのは時空転移をおこなったから、というのが理由にあたるそうだ。連れてこられた日本家屋は本丸という拠点になるらしい。最後に務めの訓示があったが、これについては後日改めて、ということだった。まずは体力を回復し、ステ補正に髪を伸ばす必要があるそうなので、しばらくそれらしいことはしないだろう、というのがこんのすけの言だった。
縛りプレイ用のキャラデータ作成しといて文句垂れるくらいなら端から手をつけなければいいものを。ゲームに例えたがこちとらナマの人間だ。とんだ被害者だ。尊厳の尊重もありゃしない。顔にありありと出ていることを読み取ったこんのすけはあの無感動な両の眼で凝視したまま口を開いた。


「人手が足りないうえ、急を要する職務ですのでご了承ください。次に給与、退職等について説明いたしましょう。危険かつ重要な務めですので給与は人生が終わるころには余りあるものですが、審神者として働いているときは将来預金として積み立てられます。退職後に払われるようになります。
ただ、退職時には審神者やそれに関するすべての事についての記憶を消させていただきます。消去後、審神者さまが時空転移をした直後のタイミングで現代へとお帰りいただきます」
「は!?それ問題ないの?てか消されてるなら給料不払いでも分からないわけじゃん、やだよ横暴。理不尽」
「問題ありません。政府機関として極秘裏に存在してますので、審神者さまの人生の、不自然でないタイミングで支払われます。砕けていうなら、金運が非常にあがる、ということですね」
「なるほど。それで時空転移ってやつは、私にとっては悪いやつじゃないの?体調の方はどうなるよ。命と身体の保証の如何によってはその首引っこ抜くぞ」
「やめてください死んでしまいます。それについても問題ありません。今より先のことですので、備えるには十分です。本丸自体、補助機能がありますし、髪を伸ばしていただくので伸びた分の霊力が蓄えられます。帰りは行きより楽でしょう。
ただし来る時の状態とほぼ同じようにしなければなりませんので、退職し、帰還する直前には散髪していただきます」



それがまず初めに自分に求められるらしき事柄であった。


「つまり私が髪を切るときは“帰る時”っていうね、事らしいよ」


ピタリ。

太く逞しい指が動きを止める。操られていたハサミも動きが固まった。背後で美容師を務めていた者は動揺したようだ。そのことにへらへらと笑みを浮かべて少し面白く思う。いつもは喧しいと誰かしらに言われるほどのあけっぴろげな人物が、こうも静かに動き、静かに動揺するとは。
山伏国広は複雑な顔をして、座している審神者を見下ろした。短く整えられつつあった髪をハサミでなく指でなでる。あれだけ長かった髪はどこにもなく、絡みついて引っ張られることもない。さらりと流れていくのは短い髪である。髪を結わなければ床に着いていた長さは既にない。山伏国広は己の胸中にて惜しい、と呟いた。切ってしまった髪が今更ながら惜しくなる。物欲を捨てねばと思っても、事実を知らされたとあっては滲み出てきてしまって際限がない。

「主殿も人が悪い…」

意図せず憮然とした物言いになってしまうが仕方ないことだった。女人の髪を切るだなど。しかも刀剣男子として目を覚ましてから今の今まで伸ばす一方だった主の髪を切るなどと、その理由が理由だ。髪を切り終わってしまうことはつまり、その瞬間に主を失うことではないか。
まだ整えられていない毛先を指先で摘まむ。ぱらぱらと切られた短い毛髪が落ちていった。そのさまを見ていると心に暗い炎が、気を抜けば点ってしまいそうだった。そればかりは本意ではない。ちいさく顎を引いて山伏国広は耐える。目から劣情が生まれてしまわないように目蓋を閉じた。

「主殿。主殿と拙僧が共にした日々は他の者よりも短かろう。されど刃を進める理由にはなりがたく」
「ん?…あー。ごめんごめん。軽く見てるとかのつもりじゃなくて、そういうので呼んだんじゃないんよね、これは」

わはは、と小さな笑い声が茶化すように響いている。
その様子に山伏国広は目蓋を開いてみてみると、鏡面にはニコニコと笑う姿が見えた。半端で作業が止まっているため半分から左右でちぐはぐである。笑顔と相まってなんとも気の抜ける様子だった。それでもいくらか厳しい表情が残ったまま山伏国広は問いかける。

「むう…。と、いうと?」
「いやあ髪を切るのは、私、一度きりだからね。それ以上もないからさあこれが最初で最後なわけよ、そしたらね、こればかりは主というより個人的な気持ちを優先したい人間だからね、わたしは」
「心を制し、心に流されるも之、人の常なり」
「ありがとう。最初こそ無理やりだったけど、だから最後は自分で終わり方を決めたいのよこれが。で、切ってもらいたいなと思ったのよ拙僧さんに」
「…あい分かった!その心意気やよし、ならば拙僧も迷いを捨て主殿に応えて見せよう!全霊をもって御髪をお切りいたそう!」
「お願いします。でももっと気負わずにきってくれていいのよ…?」

研がれたハサミの小気味よい音が再び響きだす。一方は髪を支え、一方はハサミを操るその手は幾分か軽やかな動きであった。山伏国広は先ほどとは打って変わって晴れやかな、常時の快活さを取り戻している。後ろこそ振り返れないが、明るくなった雰囲気が部屋に満ちていくので、想像するのは容易であった。
軽くなっていく頭は、落ちていく髪と一緒にひとつひとつ思い出を置いて行っているようだった。ここで過ごした分だけ伸びている髪にはそれだけ感慨深いものがある。ハサミが小気味よく鳴くのは、本丸を出ていくカウントダウンでもあった。

切り終わり、身支度を整えれば、終わりはすぐそこだ。
外ではこんのすけが帰る準備を進めていることだろう。審神者として旅立った自分の、その次を紡ぐ時間に戻そうと、準備を進めている。移動の際に体調を崩してしまう心配はあまりない。本丸に馴染み、髪を伸ばしたことで蓄えた力は実感するには十分だった。
ハサミが鳴る。髪が床に積もっていく。ひとつまたひとつと身軽になっていく。山伏国広は手を止めない。迷わない。軽やかに、しかし真摯とした調子で切っていく。選んでよかったと目を瞑って安堵する。

「主殿」
「うん?」
「いかがであろう」
「…うん。あの時もこれくらいだった。ありがとう」

椅子から立ち上がる。衣服に絡みつかないように掛けていた布を取り払った。ずいぶんと風通りのよくなった首筋をさする。後ろの方ではコトリと音がしていた。おそらく山伏国広がハサミを置いたのだろう。

さっぱりとした。胸が晴れ渡る。

これで終わるのだ。

山伏国広は声をかけないでその背中を見ていた。頼りなくはないが大きくない背中だ。振り向かない背中を、自らが短くした頭髪を、眺めると言い難い気持ちが胸に湧く。晴れやかであり、しめやかでもある。預け、従い、尽くした背である。それが今日、間もなく離れていくという事実に山伏国広は少しばかり穴の開いた心地であった。惑わせたいわけでもないが、しかし、何と言えばよいか分からない。かわしたい気持ちはあるのだがそれをうまく表し伝える手段を持ち合わせていなかった。固く眉を絞る。最後のひと時というのに交わすものを持っていないという、こればかりは悔しさがある。
だから無言であった。髪を切り、ハサミを置き、それから動くに動けないでいた山伏国広の様子を知ってか知らずか、その背を見せる者が口を開く。


「…ありがとう。あなたの強さで私は前を向いていることができます。山伏さんに頼んでよかった」
「っ」
「…山伏さ、ぅわっ!?」
「カカカカカ!!!」

短くなったばかりの髪をくすぐり、大きな手が頭を後ろへと傾がせる。バランスを崩しかけたが、山伏国広の身体がそれを受け止めた。一本筋の通ったその体幹は衝撃を受けても安定している。いったいどうした事かと見上げようとして、頭を覆ってくる手が髪を乱して邪魔をされる。
ただ、垣間見えた山伏国広の眼は、決意を湛えた色をしていた。何か思うところがあるのならばこちらから動かずに待とうと、手の暴れるままにさせておく。じっと静かにしていれば、存外すぐに手は止んだ。しかし代わりにとばかりに視界を覆い隠される。


「んんん?」
「カカカ!拙僧もまだまだ修行が足りぬ。主殿、しばしの無体を辛抱願いたい」
「え、うん。いいけど。転移の術式が続くまでは」
「心得た!」


返事しきると同時に山伏国広は可能な限り、壊さない範囲で可能な限り、腕に力を込めて引き寄せた。炎がチリチリと胸を焼く。襲いくる苦悶を振り切るように額を、己の腕にいる存在に触れさせる。別れを惜しみ、悲しんでいるというにはあまりに晴れ晴れしく、また身を切られる思いであった。
一方、引き寄せられた方は呆然としていた。あっという間の出来事であった。瞬きすらする間もなかった。ぶらんと浮いている両足を見る。自身を閉じ込め、持ち上げる腕を見る。負担のかかっているように見えないのはさすが修行僧というべきか。そして次に困惑した。その腕が、震えていた。すべてにおいて懐の広さ深さを持ち動じないと思っていた人物が、その腕が、審神者を辞するこの日に初めて、か細いと思った。肩に預けられた額から下は、泣いているのだろうか。涙で濡れているのだろうか。

別れがたいと思ってくれているのだとしたら、嬉しくもあり寂しくもある。なんと贅沢であくどい心の持ちようだろうか。しかしその裏で泣かないでほしいとも、涙を流してなければいいとも、思うところは確かにあった。
だが留まることはもうできない。だからしばらく待っていると、言葉の通り、本当にしばらくで山伏国広は腕の力をゆるめて解放した。踵を返すとようやく彼とまともに向き合える。

「さあ行こうぞ」

向き合った山伏国広は静けさを纏い、笑みを浮かべていた。
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