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□刀剣乱舞詰め合わせ
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・山伏国広
ダバンと落ちて、ザバンと引き上げられた。
「主殿」
「…はい」
「これは如何な事か、ご説明いただきたい」
怒りに揺れる目はどこまでも厳しく、発した言葉は固かった。
ぼたり。
山伏国広は向かい合う人物から零れていく水滴を見留めて、わずかばかり眉をひそめた。だが追求の手を緩めてもやれない。こればかりは、譲れない。
逃げは許さない。説明を。
向かい合う山伏国広は純然たる怒りを以てそう訴える。
冷たく炎をともす目に肝が冷える。
べつだん侮っていたわけではない。
笑うとか、馬鹿にしてやるとか、思っていたわけではない。
これには訳があるのだ。それを表すかのように拳を固く握りしめた。決意は固い。
ただ彼は滅多に取り乱さない。泰然自若としている山伏国広の、その表情を崩したかった。それだけだ。後悔も反省も改めようとも思わない。崩したかった。それだけだ。
意を決して前を向く。己は純然たる決意を貫くのだ、と。拳は依然として固く握りしめたまま。
緩めば気圧されてしまいそうだ。
「かっとなってやった。まさかこんな事になるだなんて思わなかった、迷惑をかけるとは思わなかった」
「…主殿」
「いや、だって」
「主殿」
「…すみませんでした」
「…。溺れ死ぬかもしれぬところであった」
「ごめん山伏さん本当ありがとうございますすみませんでした」
ため息を吐かれては申し訳なさが倍増してしまう。止めどなくと落ちていく水滴がかぶった水量を思わせる。
それも当たり前か。たっぷりとっぷり、頭の先から川へ落ちたのだから。
「まさか水行の折に飛び込んでくるとは、拙僧、予想もしていなかったぞ」
「え、本当?修行の成果をはるかに超えたようで、」
「主殿」
「すみませんでした」
再び頭をさげる。
そんな、絞り出すようなドスを利かせなくても。
ピチャピチャと水滴が垂れた。
春とはいえ、芽吹いたばかりの季節はまだ冬をまとっている。
失っていく体温を留めようと体が震えている。すっかり濡れそぼった衣服のせいで冷えるばかりであるけれど。
山伏国広は深く息を吐き出した。それから何か動くようであった。
次いで、布が空を泳ぐ音がしたら、彼の固く絞られた上着が被さった。
「まずはそれに召し替えられよ。声があるまで拙僧は背を向けておこう」
「お手数をおかけします…」
「…」
服の隙間からのぞき見ると山伏国広は既に背を向けようとしていた。垣間見えた目つきは怖かった。控えめにいっても怖い。
どう見ても平常心からほど遠い。怒ってる。見なかったことにしよう。
しかし男物の服である。
濡れた自身の衣服に手をかけながら、被さるそれをまじまじと見る。山伏国広よりも大きくはない背ではあるのだが、こうもすっぽり被さるとは。
すん、と、鼻が鳴る。
匂いがする。
山伏国広の服である。服である。ただの繊維のかたまりだ。
しかしなのにそれなのに匂いがする。彼の、山伏の、山伏国広の匂いがする。
好きな匂いがする。
すんすん、と、鼻を鳴らす。
好きな人の匂いがする。
大好き、な、人の、
「ぬあああ立ち去れ煩悩!!!!!」
ッパーン!!!
勢いよく服を脱いだ。水滴の重さが空気を打つ。勢いがよすぎて山伏国広の声がかかる。
どうした、と焦る声になんでもないと返した。なんでもある。寒い。やばい。変態だ。思考も今の格好も余すところなく変態だ。寒い。
なぜだ。
平常心を崩しにきたのに崩されている。もう煩悩がジェットストリームだ。
脱いだ服はびしょびしょだ。乾いてもいなければ絞られてもいない。捻って絞れば気持ちいいほど水が逃げてくる。ザバザバと落ちる水がまるで抱いている煩悩を表しているようだ。際限がない。いくらでも出てくる。ざばざばざばっと。
これだ。もうすべてはあれだ、この服のせいだ。いや山伏国広のせいだ。
でも自分の服を脱いで彼の服をきちんと着る。寒いものは寒い。背に腹は変えられない。変えたくない、というかそもそも比べるべくもない。体温を失うか煩悩を増やすか。どちらか選べというならば煩悩を増やす方を選ぶ。からだだいじに。きもちもだいじに。
しっとり水気が残ってはいたが固く絞られたそれはだいぶ違う。いい匂いがするところからして違う。ではなく。
着たら着たで余計に煩悩が増えた気がする。だめだ平静を保たねばと、必死に表情を固定しながら心の方は火事である。
平常心と3回唱える。
いややっぱりだめだムラムラする。
5回は唱えないとだめかもしれない。そうじゃないと効果が出ないのかも、出てくれないのかもしれない。煩悩の数ほど多く唱えなさいよと、そういうことなのかもしれない。
平常心平常心。来たれ平常心と唱える。何か通じたのか山伏国広の方からも平常心やら煩悩退散やらが唱えられている。なんだかとても真に迫るものを感じてしまう。
やばいこの下心見抜かれてる。これは主の沽券にかかわる。平常心平常心。
5回唱えたむりでした。
くるっと振り返って山伏国広を、その背中を睨みつける。あら良い背筋。違う、そうじゃない。
その背中に、もうやけくそに叫びながら頭を抱えた。
「だめだ山伏さん!」
「うむ、いかがした!」
「この服着たら煩悩が湧き出てきます!エロいのが!なんだろうムラムラする!止めてくださいあなたの主が捕まってしまいます!」
「あい分かった!」
くるっと山伏国広が振り返る。あら良い腹筋。違うだめだよけいに煩悩が増えている。
もはや目まぐるしいほど増えている。
山伏国広は決死の覚悟で踏み出した。
精悍さに拍車がかかっているがどうするのだろうか。自慢の筋肉でもって物理的に止めるのだろうか。痛そう。
それでも肚を決めねば。
力を込めて見据える。
ぐおっ、と逞しい腕が伸ばされる。
さすがに目をつむった。衝撃に備える生理現象のせいで視界が途絶える。暗い。寒い。あったかい。
「えっあったかい」
「ならばよかった」
「えっ?えっ!?えっ!?」
困った風に笑う山伏国広がいる。目の前にいる。至近距離にいる。真っ赤だ。
これはどういうことかと目をパチクリさせる。背中にまわる腕が強くなった。山伏国広は困った風に笑う。耳まで真っ赤だ。
寒かったはずだ。なのにひとつも寒くない。どころか熱いくらいにあったかい。ぴちょんと彼から伝う水滴も、熱いせいで掻いた汗と今なら自信満々で間違えそうだ。自信はある。
ぽっぽっと身体に火が点る。あったかい。
「山伏さん!ダメだこれ!よけいダメだこれ!!」
「そうか!」
山伏国広は笑っている。首まで真っ赤だ。
「白状しよう!主殿の言葉では、拙僧も捕まらねばならん!!」
「うわあなにそれ滅茶苦茶嬉しい!全力で捕まえますわあ!」
「カカカ!!!」
できる限り目一杯腕を伸ばして捕まえる。山伏国広は捕まった、笑っている。たしかに彼は煩悩を捕まえた。晴天とした笑顔が吹き飛ばしていった。あとに残るのは嬉しさばかりなのでその旨を伝えるとそうかと笑っていた。青い髪も伝う雫も笑顔も真っ赤なのも、すべてが眩しくて笑った。そうだと返して笑った。
煩悩はたしかに、みごと吹き飛んでいってしまった。
だが今度は、どうしたものか、熱いほど嬉しくて満ちて幸せだ。
こればかりはどうとしてでも放したくないので、離れないようしっかり掴んで笑っておいた。