単発

□不器用な嘘つき
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目の前に積まれた書類に囲まれている時、シロエは唐突に
「あーもーやーめたー!」
と叫びたくなる事がある。
決して、嫌々受けている仕事な訳ではない。やるべき事であるし自分なら出来るという自負はある。本来デスクワークは好きな方だ。が
それでも、だ。

これぜんぶもえればいいのにいっそばくはつすればいいんじゃね? って、ギルドハウスもばくはつするじゃんやべえやべえー……。

支離滅裂な独り言が多くなれば、かなり状況はよろしくない。

「駄目だ、一旦待避」

思考がまともに働かなくなると効率も落ちる。たとえば、もう少し早い時間であれば直継と話したりして気分転換をするという手もあるが、もう丑三つ時だ。このギルドハウス内で起きているのはシロエだけだろう。
仕方なく眠るために部屋に向かいかけて、ふと気が変わった。
古い窓越しにさしこむ月の灯りがやけに綺麗に見えたからだ。
そのまま屋上へと足を向けると、夜空には思い通り、綺麗な月の華が咲いている。

ぼんやりと見上げている、時だった。

「シロエち」

不意に背中越しに降ってきた声に、危うく飛び上がりそうになる。

「は、はん、班長っ!?」
「眠れないのですかにゃ?」
「あー、んー、そんなとこ」

さっきまで仕事してた、なんてこぼしてしまうと叱られる気がして、シロエは語尾を濁した。いつも優しい目の前の猫紳士は、シロエが自分を労らない事に対して、ときどき厳しいのだ。

「班長は? こんな時間に起きてるなんて珍しいね」
「少し、気になる事がありましてにゃ」

にゃん太の気になる事、は大概的を得ている。何かアキバに悪い事でもあったのかとヒヤリとしながら、シロエは眼鏡のエッジを指で押し上げた。

「何の事?」
「シロエちの事ですにゃ。……大丈夫ですかにゃ?」

自分の事、と言われて内心どきりとする。夜食を差し入れてくれた時に軽く会話はしたが、その時は特にボロをだしたつもりはない。

「大丈夫だよ」

少しわざとらしいかな、と思いつつも、作り笑顔で応えると、にゃん太は細い目をふわりと開いた。いつも笑みを携えているから細いままの目が、時おり大きく開かれるのが、シロエは少し苦手だ。
そういう時のにゃん太は、少し怖いからだ。

「シロエち。大丈夫な人は急に"大丈夫か?"と問われたら、まずは理由を訊ねるものにゃ。"なんの事か?"とにゃ。大丈夫かと問われて、すぐに大丈夫と応えるのは、大丈夫じゃない人なのにゃー」

うっ。
言葉につまって、シロエは息を飲む。やはり、にゃん太は怖い。大きな猫の目は、全てを見透かしているような気がする。まっすぐに見つめられて、たまらず目をそらすと、隣に並んだにゃん太の手が肩に置かれた。
そのまま、ぽんぽんと軽く叩かれて、妙に情けない気分になる。
どれだけ虚勢を張ろうとも、にゃん太には見抜かれてしまうなんて、格好悪いなあと、内心で呟く。

それが聞こえたかのように、耳元で柔らかいバリトンが響いた。

「シロエちは格好良いですにゃ」
「――なんで班長には分かるんだろ。そんなに僕は単純かな」

一応は、はったりも企みも得意と思われているはずなのに。少し納得がいかなくて、隣の長身を見上げると、見慣れた穏やかな笑みとぶつかった。

「我が輩だけ、であればいいですにゃ」
「え?」
「いや、こちらの話にゃ。それより、こうやって静かな夜に月見も良いものにゃあ」

空を見上げるにゃん太につられるように、シロエも空を見上げる。
<大災害>の前、現実の世界ではこんな事しなかった。空を見たり星を見たり風を感じたり、皮肉な事に、この<エルダー・テイル>においてからの方が世界と関わっている。自分という存在が、世界と関わっているということをあらためて実感したと言ってもいい。
それは、周りの人たちによって教えられたといっても過言ではない。

こうやってにゃん太と肩を並べて月を見上げる事が、シロエにはたまらなく幸せだった。
ささくれた心が、ふわりとほどけていく気がする。

「さて、我が輩は一足先に戻るとしますにゃ。シロエちも、リフレッシュしたら寝るのにゃ」

本当はもう少しにゃん太とこうしていたかったが、時間が時間だけにワガママも言えない。

「……シロエち。我が輩、失礼してもかまわないかにゃ?」
「あ、うん。おやすみ、班長」

にゃん太の顔を見つめて、上手く笑えたつもりだった。

「シロエち」

けれど。にゃん太は離れる様子がない。
どうしたのかと瞬くシロエをじっと見つめながら、にゃん太はゆっくりと口を開く。

「シロエち、手を」

なんの事かと首をかしげるシロエに、にゃん太は口端に笑みを浮かべながら、自分の腕を指した。
そこには確かにシロエ自身の手がかかっていて。
離れるのを嫌がるように、ぎゅうとにゃん太の腕を掴んでいる事に、今更シロエは気づく。完全に無意識だった。

「えっ、あ、えぇっ!? ごめん、班長っ」

慌てて振りほどこうとしたシロエの手に、にゃん太の手袋越しの指が触れる。

「我が輩、おいとましてもかまわないかにゃ?」
「え? うん」

にゃん太の指が、シロエの指に絡む。

「本当に?」
「……う、ん」

にゃん太の朝は早いのだ。ギルドの食事を司る<料理人>は朝から忙しい。だから、シロエの都合で拘束するわけにはいかない。
にゃん太の指が、そろりとシロエの指を撫でる。見つめてくる視線がどこか鋭い。

「手を離してもよいかにゃ?」

手袋越しでもわかるにゃん太の熱が、そっと離れる。
本当はもっと温もりを感じたいなんて、絶対に言えるわけがない。
あらためて、言い直した。

「おやすみ、班長」
「――シロエちは嘘が下手にゃ」
「嘘?」

シロエの問いかけににゃん太は何も答えず、ただ楽しそうに笑った。そのまま、腕を引かれ気づけば温かく柔らかいにゃん太の胸に顔を埋めていた。

――ああ、やっぱり班長怖いな。

抱き締められたいなんて、ちらと頭を過っただけなのに。

「シロエち、まだ我が輩に部屋に戻ってもいいと言いますかにゃ?」

にゃん太には全部分かっているのだろう。
それでも、シロエは頷き続ける。

「うん。早く寝て? 」
「まったく、不器用な嘘つきですにゃ」

――愛しいくらいに。

そう囁かれた気がしたけれど、その声は、より強く抱き締められ、鳴り響く自分の心音にかきけされていった。




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