単発

□大人の分別
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 もともとは気の合う仲間、といった程度だった。あぶなっかしい所はあるが、頭がきれて全体を見渡せる、若者にしては見込みがあるというのが〈放蕩者の茶会〉時から感じるシロエに対するにゃん太の評価である。
 気の合う仲間、であればお互いに入れ込みすぎず、絶妙の間合いをはかっていればよかった。
 しかし。
 状況は変わり、今ではシロエとにゃん太は同じギルドのメンバーだ。この小さきギルドは、シロエにとってようやくたどり着いた居場所であり、メンバーは仲間というより家族だとにゃん太は思っていた。
 その中において、ギルドマスターたるシロエは柱だ。全ての流れを作る揺るがない存在でなければならない。
 おのおの役割がある中で、にゃん太は常に俯瞰者であるよう務めている。年齢どうこうもそうだが、そもそも、それが性にあっているのだろう。前へ出ない事は、まるで苦ではない。
 だからこそ、柱の変化にはしっかり気付いていた。

「お、シロ、それいらねえのか? もーらい」
 トンカツの前でボンヤリとしているシロエの答えを聞かず、直継がすばやくシロエの皿からトンカツを盗む。
「直継!」
 間髪いれずアカツキの箸がそれを捕らえ、あっという間にトンカツはシロエの皿に戻った。
「主君、しっかりするのだ!」
「え、あ? ああ、ごめん」
「あー! 渡し箸は行儀わるいんだぜー?」
「トウヤ……今のはそういう事じゃ」
 賑やかな食卓はログ・ホライズンにとっての日常だ。わいわいと食べる食事は調味料になるもので、〈料理人〉のにゃん太としても楽しい食事は嬉しい。
 ただ。どうにも、シロエの顔色が良くない。寝ないで執務室にこもった体を、食事時だけはひっぱり出してきているから、ぼんやりしているのもいつもの事なのだが、今日は更に調子が悪そうだ。
 皆の前でそれを指摘すると、騒ぎになるのは必至で、シロエも遠慮してしまうだろう。
 今は見守るですにゃ。
 それがにゃん太の仕事でもあった。


 賑やかな昼食を終えて、早々に執務室に戻ったシロエを、にゃん太はすぐに訪ねた。
「あ、何? 班長」
 書類の山に埋もれた顔色は、やはり良くない。それをシロエは絶対に口にしない。
 水臭い、というのは少し違う気がしていた。
 単に、甘えられない性質なのだ。

 甘え方を知らないのかもしれない。
 甘えるというのは、人間関係において高度なコミュニケーションともいえる。元来の性格で簡単に身につけるものもいるが、それは希少だろう。少なくとも、にゃん太は経験の蓄積によってそのスキルを身につけてきた。
 そしてそれは現在「甘えさせる」スキルへとレベルをあげている。

「シロエち」
「何?」
 不思議そうに見上げてくる眼鏡の若者、腹黒だとか、真っ黒だとか、そう評される事もあるこの青年は、にゃん太にとって可愛く大事な存在でしかない。
「顔色が悪いですにゃん」
 シロエの眉間に指を当てると、そっと撫でる。寄っている皺をのばす素振り、いつもならシロエは嫌がるのだが。
 めずらしくおとなしい。
 ――おや?
 つい、面白くなってそのまま撫で続けると、シロエはいつの間にか目を閉じてしまっている。
 ――これはこれは。
 とてつもなく珍しい。どうやら、にゃん太の手に撫でられて、シロエはうたた寝をしているのだ。

 微かな寝息までたてて、額をにゃん太に預けるその様を、だれがあの「シロエ」と思うだろうか。
 シロエはいつも、やるべき事とやらねばならぬ事、それからやりたい事を同時進行させている。常に全てを見ていて、見たいと思っているのだろう。疲れぬ訳がないのだ。けれどそれは若者の特権であり、宝だ。
 そしてそれを甘やかし見守りそっと導くのが年寄りの特権とでも言おうか。
「可愛いものにゃ」
 可愛い。そう、にゃん太はシロエが可愛いのだ。いつでも最善であろうとする為に最悪までを思考する「腹黒い参謀」が、にゃん太には何のためらいもなく信頼を見せてくる姿が、可愛くて仕方がない。可愛いとは、愛す可し――愛すべし――そう言ったのは誰だったか。
 愛しい、といえばしっくりくるだろうか。時折、にゃん太はこの目の前の青年を包み込んで抱きしめて離したくないとさえ思う事があるのだ。

 甘えるのが苦手ならば、こちらからずぶずぶに甘えさせたい。
 ――いや、何を考えているんだか。
 ふと、毛だらけの身体を見下ろす。
 ここは今までの〈エルダー・テイル〉ではないとはいえ、『現実世界』でもない。感じる事が真実だと言ったとしても、虚構の影がつきまとう事は忘れてはならないのだ。
 この身体で抱きしめたとして。想いをぶつけたとして。
 そこには何が残るのだろうか。
 今がよければそれでいい、という生き方を選ぶには、にゃん太は歳を重ねすぎている。
 そして、それらを見ぬ振りで誤魔化す事にも、慣れているのだ。

「シロエち」
 額を支えていた手から力を抜くと、支えをなくして揺らいだ顔の上で、眼鏡越しの目が驚いたように瞬く。
「あ、え、僕、寝てました?」
「そうにゃ」
「うっわ、ごめんなさい」
「うたた寝は珍しいにゃ。にゃにかあったのかにゃ?」
「そうじゃないけど……なんか、班長が側に居てくれると、勝手に気が緩むっていうか」
 最後の方はごにょごにょと呟き、シロエはもう一度、ごめんと頭を下げる。
「謝る事じゃないにゃ。シロエちは働きものだけど、少し寝るにゃん」
「うん、ごめん」
「だから謝らないでも」
「違う、その、もう少しだけ、側に居てほしいな、とか」
 ――ああ、これは。
 シロエは、一生懸命甘えているのだろう。耳を赤くしている事に、本人は気付いているかどうか。
 頭の奥で、何かにヒビがはいるような音がする。多分、それは大人の理性とよばれるもの。

「危険ですにゃん」
「え、何?」
「何でも」
 にゃん太はおもむろに、シロエを椅子ごと引っ張ると、そのまま抱き上げた。
「ちょっ、班長、椅子っ」
 直接抱き上げてもよかったが、ひび割れた理性はどこまでもつか、怪しい。そのままソファーへ下ろしてから、椅子は床へと戻した。
「ちゃんとお昼寝するのにゃ」
 子供をあやすようにぽんぽんと額を叩くと、どこか拗ねたような目が、見上げてくる。否、本人は睨んでいるのかもしれない。それすら、にゃん太にとっては可愛かった。
「おやすみなさいにゃ」
「ん、おやすみ、班長」
 睡魔に負けたシロエの可愛い寝顔を見てしまう前に、にゃん太は執務室を後にした。
「しっかり休むのも仕事なのにゃ、ギルドマスター」
 この小さく大切なギルドは、シロエの肩にかかっているのだから。

 それにしても。
 ――キスくらいしてもよかったかにゃ?
 できもせぬ事を思いながら、にゃん太は小さく小さく、誰にも聞こえぬ程の溜め息をついた。

                  終

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