□湖
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暗い水底をじっと見つめてたら聞こえる気がした。







湖が俺を、呼んでいる。














「なにそんな真剣な顔してるのよー」


「…なんでそんな笑ってられるの」

「だっていづれこうなってたもん」

「でも、」

「ほーらー、支葵がそんなしけた顔じゃあたしも悲しくなる」






ごめん、とぽつりと呟いたけどそれは声にはならなかった。



風が通った。月を映した湖の水面がさわさわと踊る。



ごめん、






「支葵、お願いー笑って?」

「…」

「ねぇーあたし支葵の笑顔好きなの」

「アハハ、ハハ」

「ぷっ、下手くそ」

「…うるさい」




風がぴたりと止んで、水面が静止する。その閑静な湖を背にして立つあんたの表情は、俺を、悲しくさせる。



あんたは、不思議なほど落ち着いていて
いつものような会話のリズムに持っていこうとする。



それが、辛い。

弱音も泣き言も、何も吐かないあんたのその笑顔が



俺を、悲しくさせる。








「みんな起きちゃうし、あたしもあたしじゃなくなちゃうかもよ。さくっとお願いね」







随分と、あんたとは話したし別れについてもたくさん、思ってることも全部言い合った。







「ごめん、」

「支葵ったらそれはもう無しだって言ったじゃん」

「…うん」






あんたは覚悟ができたから今日にしよう、と。

でも本当は、覚悟しなきゃなのは俺のほうだ。

いっそ、逃げ出せたら楽なのに。





「ねー支葵、お願い聞いてくれる?」

「…いいよ」

「あたしね、支葵がすごい好きなのね」

「うん、知ってる」

「だから支葵の笑顔見たいなーって思ってるけどやっぱりそれは無理なお願いだからね、」





そう言って、俺の手をとり指先にキスを、


そして血を、





「一度、吸血ってやってみたかったの。やっぱ最後は欲に負けちゃった」

「…ばかじゃない」

「ってのはうそで、血ってほんとに相手の感情を表すのかなぁって思って」

「俺の血、どんな味したの」

「うーん、なんかね悲しい暗い味がした」

「…だろうね」





指から血が流れる。
そういえば誰かに血、取られるの久しぶりかも。





「あーなんか、あたし今やばいかも」

「…」

「じゃあさくっとよろしくね」





俺はうつむくしかできなかったけど、やっぱりあんたが好きだから受け止めようと思う。
そして目を合わせたときあんたの瞳に見た、悲しさというものは、一瞬で隠れてしまって


あんたが最後に見せたあんたの本音。






「あとねー、これがほんとにほんとの最後のお願い。あたしに隠れて破ったらやだからちゃんと今約束してね?」

「わかった」

「ぜったい約束だよ?」

「で、なんなの」

「ぜーったいだからね、約束してね?」

「…うん、約束する。信じて」





そして幸せそうに笑ったあんたが言った言葉。
その時の言葉はすごくあんたらしくて、やっぱりあんたの笑顔が好きだって思った。



だから俺も、あんたのために、あんたのように己を隠して、演じてあげる。




にしてもばかだよね。
俺があんたとの約束を破れる訳がないのに。





風が通って、水面が踊る。



さらさらと舞う、あんたを捕まえ、はたはたと涙がでた時には一人だった。ただ
目の前に月を映した湖が、あるだけ。



湖が、あるだけ。










(あたし、湖が好きなの)























湖が俺を、呼んでいる。





あの日、彼女は俺の目の前で灰になった。


彼女は、墜ちる寸前でもう成す術はなくて

そして俺に助けを求めた。


だから、俺は








この湖で弔いを



あんたの最後の願いを守った。

だから、だよ。
あの日からあんたがこの湖に住み着いて、俺を呼ぶのは。







風が冷たくなり、闇が消えようとしていた。夜が、やってきた。



俺は暗い深い湖をじっと見つめて、ただ見つめ続けた。そして手に持っていた一輪の薔薇をそっと浮かべた。

そう、彼女のために






この湖に彼女がいるなんて俺以外誰も、知らないんだ。












(きっとこの水底であんたが俺を呼んでいるんだろう。)












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