宝物

□It was good that there was you
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 市営体育館に作られた正方形の試合場では、2人の剣士が先革を互いに向けながら、お互いの隙を窺っていた。
 しかし、試合開始早々に先手を取られた相手方は、動きに次第に焦りの色が見え始める。
 その緊迫した空気は、やがて、床の上を滑るような足運びを見せ、気合いの声とともに鮮やかに決められた面打ちにより霧散する。
 やがて、審判が勝者の旗を揚げ、今ここに、全国大会個人戦1位となった者の存在を知らしめた。

「カンパーイっ!!」
 どこか飄々としていながらも、意外と真面目な部分を持ち合わせているラビの音頭で、4つのグラスが小さな音を立てる。
 試合終了後、剣道部としての祝賀会は別途開くこととなり、解散後、近くのファミレスで、馴染みの4人は、小さなお祝いをすることになった。
「神田、おめでとうございますっ!」
「…ああ」
 自分が優勝したわけではないのに、心底嬉しそうに言うアレンに、神田も穏やかながらもいつものように素っ気なく返事を返す。
 昔馴染みにだけ見せるその表情は、いつもの刺々しさがなく、神田の端正な顔をより際立たせるものだ。
「しっかし、ユウ。ホントに3年連続優勝したさ」
「夏休み明けが大変ね」
 苦笑を浮かべるリナリーに、神田は、僅かに眉根を寄せる。
 神田自身に取っては、迷惑この上ない話だが、容姿の良さに加えて、今時の男子には数少なくなった硬派なイメージのせいで、神田に一方的な熱意を向ける女子は多い。
 神田は、そういう騒ぎ立てる人間が苦手というより嫌いであり、そのため、極力関わり合いを持ちたくないと考えていた。
 ところが、神田の携帯番号やメールアドレスを知りたいと思う者は多く、1学期の中間テスト後に、アレンの携帯が盗難に遭うという事件が起こった。
 それは、無自覚な悪意、熱意の延長上といえば保護のしようが僅かなりとも有り得ただろうが、生徒指導部まで絡む事件となり、神田と違い、容姿の異質さで目を向けられるアレンに取っては、精神的苦痛を伴う出来事となっていた。
 しかし、それ以来、特に突出したことはなくなり、比較的穏やかな日常を経て、本日神田は、全国大会個人戦3連覇を果たし、有終の美で部活動を締めくくろうとしていた。
「ったく、冗談じゃねぇぞ…」
「そんなこと言ったって、どうしようもないさ。腹括って、始業式来るしかないさ」
 心底嫌そうな表情をする神田をラビがからかう。
 それに、アレンとリナリーは肩を竦めるほかなかった。
 終業式前に開かれた壮行会で、運動部は、それぞれのユニフォームを着て壇上に上がる。
 神田もその例に漏れず、暑い最中に胴着に着替え、他の部員とともに体育館へ入ったのだが、途端に騒ぎ出した者達がいたために、生徒指導部の教員が注意するという事態を起こしていた。
 それが今度は、始業式前の表彰式にあるだろうことは、例年のことだけに、神田としては面倒くさいことこの上ないものであった。
 やがて、それぞれ注文した料理がくれば、それを食べながら、ラビがふと何かを思いついたように口を開いた。
「ところで、俺ら、もう受験に向けて本腰入れなきゃならないわけだけど、もうこんな機会ないからさ、4人でどっかいかない?」
「4人で、ですか?」
「なに? アレンは、やっぱりユウと2人っきりじゃないと駄目さ?」
「なっ、だ、誰もそんなこと言ってないじゃないですかっ」
 真っ赤になって、むせりそうになりながら慌ててアレンは答える。
「冗談、冗談さ。で、ユウは、構わない?」
「別に。適当に決めろ」
 蕎麦がなく、やむなく冷やうどんとミニ海鮮丼のセットを食べていた神田は素っ気なかった。
「んじゃあさ、リナリーとアレンは、どこ行きたい?」
 ラビの問い掛けに、リナリーとアレンは顔を見合わせる。
「夏といえば、海か山よね…?」
「まあ、定番はそうですけど、どっちも夏休みだから、人が多いですよね…?」
 2人が気に掛けるのは、神田が人の多い場所を嫌うという事実だった。
 しかし、だからと言って、近場の映画や買い物などは、今までほどでなくとも出来るだろうし、面白味に欠ける。
 そんなふうに、頭を悩ませ始める2人を見かねてか、牛ステーキを口の中に放り込んだラビが、ちらりと神田に目をやった。
 その視線からラビの言いたいことを察した神田が、やや眉間に皺を寄せながら口を開く。
「あー…お前らの好きなところでかまわねぇから」
「えっ?! いいんですかっ」
「神田っ、いいのっ?!」
 途端に目を輝かせる2人に、内心一歩引きかけながら、神田は煩わしそうに軽く頷いた。
 その心中で、リナリーはともかく、仮にも付き合っているアレンの認識を改めさせる必要があると密かに思いながら、さきほどと打って変わって、生き生きと相談し始める2人を眺めていた。
 その一方で、その様子をこれまた眺めつつ、ラビもまた内心、この3人といると本当に面白いなどと思っていたのだった。

 当初は、電車で1時間ほどの海辺の予定だった。
 しかし、リナリーがそれをコムイへ話したところ、「リナリーの美肌が日焼けするから、炎天下の海なんてダメーッ!!」と大人気なく号泣されてしまったため、やむなく行き先変更をせざるを得なくなった。
 4人は、海が駄目なら、山という安直な発想のもと、電車で約1時間半の山間にある牧場へ向かっていた。
 木々の合間から見える田園地帯を走る電車は、今時珍しいボックス席があり、ほどほどの乗車率で、幸いなことに家族連れが多く、4人は和んだ雰囲気に包まれていた。
 窓側に、マリンカラーのフード付きTシャツとカーキ色の六分丈のパンツスタイルのアレン、その向かい側にエメナルドグリーンが主のレイヤード風チュニックとベージュのレース付ショートパンツを身につけたリナリー。
 そうして、アレンの隣の神田は、濃紺のノースリーブとブラックジーンズ、リナリーの隣のラビは、グレーのTシャツの上にモーブ系のチェックシャツを着て、くすんだ色合いのジーンズという出で立ちだった。
「全く…ちょっとぐらい日焼けしたって構わないのに。兄さんは、大袈裟よね」
 次第に緑の色を濃くしていく景色を窓越しに眺めながら、リナリーが嘆息とともに言葉を漏らす。
「仕方ないですよ、リナリー」
「コムイの心配性は、今に始まったことじゃないさ〜」
「諦めろ」
 三者三様の言い様に、リナリーは僅かに肩を落とす。
「ラビ、そんな他人事みたいに言うけど、付き合ってるのバレたら、大変なことになると思うわよ?」
「まあ、そのときは、そのときで考えるさ」
 軽く答えながらも、ふっと真面目な表情になったラビに、アレンは、思わず心配そうな視線を送ってしまう。
 コムイの過保護ぶりは、アレンがこの3人と出会った当初から変わりがない。
 リナリーを溺愛し過ぎているコムイは、もう30を迎えようとしているのに、特定の女性の影もなく、アレン達の通う高校の教師を勤めている。
 おそらくコムイは、リナリーが自立するまでは、今のままでいるだろう。
 兄妹だけに、2人の間は、近すぎて見ないものがある。
 それを上手に調整するのが、2人の距離が等しくなるときまでの役割だろうと、不器用ながらもアレンは、そんなふうに考えていた。
 やがて、目的の駅に到着し、バスに揺られること10分。
 降車した途端、夏雲が遙か彼方に見える青空のもと、耳を劈くような蝉の声に包まれる。
「五月蠅いぐらいですね」
「虫取り網と虫かごあったら、夏休みの宿題バッチリな感じだな。あっ、入場券は、あっちみたいさ」
 小さなログハウスのような建物で、それぞれ入場券を購入し、近くの木陰で案内図を広げる。
「すごーい。こういう感じ、小学校のときの林間学校以来かも」
 高台に広がる牧場は、緩やかな傾斜を持ち、入場券売り場から階段を上っていくと、広場とアスレチックコーナー、その奥の木立を越えれば、バーベキュー施設と軽食店があり、そこからまた上へ向かうと小動物とのふれあいコーナー、そのさらに上が牛の放牧されている場所と体験施設となっていた。
「100円で自転車借りて、サイクリングコースってのもあるさ」
「今が10時半だから、長いコース選んだら、お昼にバーベキューのところ混みそうですよね…」
 真面目な顔で唸るアレンに、神田は呆れたような溜息をついた。
「お前の頭には、食いモンのことしかねぇんだな…」
「だって、こういうところに来たなら、食べることも大事じゃないですか」
「あのな…。で、これから、どうするんだ? このまま4人でつるんでるのか、それとも、二手に分かれるのか?」
 さっさと会話を切り上げようとする神田に、ラビは、何を今更と言わんばかり表情を浮かべる。
「ガキじゃないんだから、分かれるに決まってるだろ。お互い、無駄な干渉しないのがルールさ」
「じゃあ、11時半ぐらいに、ここに集合にしない?」
 リナリーが地図で指した場所は、バーベキュー施設と小動物とのふれあいコーナーの中間地点にあたる軽食店前だった。
「わかりました」
「じゃ、あとでな」
「うん」
「アレン、携帯落とすなよ〜」
 手をひらひらと振りながら、リナリーと歩き出すラビに向かって、「落としませんよっ!」と返すアレンは、いつもよりくだけた感じで、神田はそれを静かに見守っていた。
 神田には、他人とのコミュニケーションが不得手だという自覚があるが、目の前にいるアレンは、今までの環境と元々の性格がそうさせるのか、やたらと他人に気を遣うときがある。
 いくら自分が気遣っても、それには限界があり、相手の受け止め方次第でどうとでもなるし、相手が自分をどう思おうが、それがほぼ関係を持たないであろう人間なら、どうでもいいとさえ神田は思っている。
 ところが、そういう割り切りがアレンは出来ない。
 他人のことを言えた義理ではないが、不器用な奴だと神田は思う。
 そういうところが気になって、目が離せなくなったのは、ずいぶん前からだ。
 それは、当初は、苛立ちやもどかしさに近い感情だったはずが、いつの間にか違うものにすり替わり、今の関係へと繋がっている。
「おい、お前、どこにするんだ?」
「うーん…時間が勿体ないから、とりあえず移動しながら考えませんか?」
 そんなアレンの頼り無い言葉に、小さく舌打ちしたものの、神田は、その隣に並んで歩き始めた。




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