短編部屋二号館
□廃墟
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高一のとき、僕はある事件を起こして人間世界で生きることをやめた。それ以来僕は、廃墟を探してはそこに泊まるという生活を繰り返している。今は十八歳。よく二年間もそうやって生きることが出来たと思う。
僕は高校に入って初めて出逢った彼女を、カッターで切り刻んで怪我を負わせてしまったのだった。
きっかけは世間的に見ればごく些細なことで、けれど当時の僕にとっては凄く凄く重いことだった。けれど僕も、一本のカッターナイフさえなければ真っ当に暮らしていたはずだった。
彼女が浮気したから、二度と浮気なんて出来ないようにって。
そんな理由で僕は、その綺麗な白い肌を何度も切りつけた。抵抗しても押さえつけて、腕とか脚とか致命傷になりにくそうなところを切りつけた。
何度も何度も切ったけれど、やがて冷静になったときに彼女が怯えて泣くのを見た。僕はようやく自分のしたことに気づいて、カッターを放り捨ててすぐさま逃げた。
当然警察に見つかった。即座に退学が決定した。親には哀しい顔をされて、警察の冷酷な目に見据えられて、彼女は顔すらみせてくれなくて、僕はその時人間社会から孤立した。
少年院に、なんて話が出ていた頃に、僕は逃げた。僕は怖かった。更生のためなんて生易しい綺麗事を抜かして、警察たちはきっと一生僕を蔑み続けると思ったから。
やってから後悔したって遅い。解っているのに、僕はそのことを今でも悔やんでいる。人間と一緒にいれば彼女の怯えた顔や捕らえられた時の恐怖感を思い出してしまって、僕は幾度となく狂いそうになった。
だから誰もいない場所を探している。僕は人間社会にいるべき人間ではないから。彼女に対してしてやれることといったら、二度とその目の前に姿を現さないということだけだと思う。
座り込むついでにその場に置いた荷物を、腕で退ける。そして、砂埃と朽ちた材木の欠片が散らばる床に仰向けになってみた。
こうして寝転がって、そのうち僕が腐乱死体で発見されたらどうなるだろうと考えてみる。まず間違いなく、新聞の見出しに彼女を切り裂いたことがばっちり載るだろう。それで彼女がまた悲しんだりしたら嫌だな。もう彼女に、迷惑かけたくない。
目に映る青空を、小さな鳥が横切っていく。そんな様子を呆然と眺めながら、僕はこれからどうしようかと思案していた。今夜の予報は雨だと、荷物の中に入っているラジオで聞いた。屋根が無いこの廃墟で、雨宿りは無理だろう。
まあ、雨でもいいか。どうせ僕なんて生きていても、どうしようもないのだし。野垂れ死になんていうのも、僕らしいかもしれない。
「もしもーし。死んでるの?」
「死んでます。近寄らないで下さい。そろそろ腐乱死体に成り果てます。僕に近寄るとろくなことがないよ」
目を閉じ、半分うとうとしかけながら言う。
声の主が誰かとか、そういうことは別に気にならなかった。
人間とはかかわりたくないから、早急に去ってもらおう。
だから馬鹿みたいにその人を追い払った。けれど。
「近寄っていい? あたし、あんたと話したい」
その声に目を開けてみると、僕と同年代ぐらいの女の子がいた。
僕は目が悪い上に、彼女を見上げれば逆光になって顔は良く見えない。
けれど、髪はこげ茶のストレートだということが解った。
僕は彼女と話したくなんてなかったから、すぐにまた目を閉じた。
この人の声は、何となく僕が切り裂いたあの子に似ている。
だから僕は、この人と話すのが嫌だった。
「だめ。僕は独りがいい」
「だめ。あたしはあんたと話すの」
何この強情な人。
話すのが面倒くさいと思いながらも、追い払うのも面倒になってきて僕は黙り込む。
「あたしは家出人。バイト先で彼氏に振られて、自棄起こして家出してきたんだ」
へえ。失恋ね。もう思い出させないで。
僕が何も反応しなかったのを軽蔑ととったのか、彼女は自嘲気味に続けた。
「馬鹿みたいって思うでしょ? けど、失恋って結構イタいから」
「僕も痛い恋したよ。凄い痛い恋。文字通り痛かった」
何言ってるんだ僕は。
二年もマトモに人と話さなかったからって、見ず知らずの素性もしれない女の子に身の上話をしだすなんて。