短編部屋二号館

□縁側
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 なかなか弥生が現れないので、徳利から杯に酒を移す手を止めた。そして、声の主が何処にいるのか探す。
 弥生はあでやかな薄桃色の着物に身を包み、垣根の向こうからこちらに袖を振っていた。
 様子からすると、彼女は新しい着物を俺に見せたかったらしい。

 白い肌に、ほんのりと桜色に染まった唇が愛らしい。
 無邪気に笑うその姿は、女というより少女のいでたち。

 俺が黙って杯を上げて見せると、弥生は一度俺の視界から消えた。そしてすぐに、庭に入ってきた。
 これが合図。庭に入ってきて、縁側に座れという合図だ。
 なんだか俺と弥生だけに通じる秘密の暗号みたいで、面白いと思う。
「お花見ですか、もうすっかり春ですね。時がたつのは本当に早いです」
「弥生も女らしくなった…… が、まだ子供だな」
「まあ、成安さんたら」
 頬を膨らめてそっぽを向く、その仕草が子供っぽいのだと弥生は自覚していないようだ。
 俺は黙って杯に酒を注ぎ、透明な清酒を一気にあおる。
「お酌しますよ」
「ああ」
 実はこの申し出を待っていたりした。
 独酌でひとりこの春の景色を見ているのもよいが、俺としては弥生に酌をしてもらって飲むのが一番良いのだ。
 酒は独りでも飲めるが、酌をしてくれる相手が弥生だというなら話は別だ。
 ぼんやりと梅の花を眺めながら、隣の弥生をこっそり盗み見る。
 彼女は綺麗になった。ほんの二年前ぐらいまでは、ちょっと可愛いだけのただの子供だったのに。
 たおやかで、春の似合う女性になった弥生。弥生はおそらく今年のうちに、藩主などからの見合いを受けて城内に嫁ぐのだろう。
 ただでさえ美しいのに、弥生はこうして一人身の俺を気にかけて家に来てくれたりと、いつでも誰に対しても細やかな気遣いを欠かさない。
 独り暮らしの俺にとって、いつしか弥生の存在は大きくなっていた。
 弥生が頻繁にうちに来てくれるようになってからというもの、俺は子供っぽいとか何とかいいつつも弥生のことを気に入っている。
「成安さんは、桜と梅のどちらがお好きなのです?」
「桜だな」
「私もですよ、成安さん。成安さんは、桜のような方だと思います」
「俺があ? いや、ないだろそれは」
 こんな風に、時々訳の解らない質問を吹っかけてきては訳の解らないことを言う弥生は、俺の反応を見て楽しんでいる。
 こいつ、ちょっとずつ男の扱いが上手になってきたんじゃないだろうか。
 おそらく恋人でも出来たのだろう。
 彼女が傍目に解るぐらい綺麗になったのは、成長したせいではなくて恋人ができたせいか。
 納得したのだが、何となく心がもやもやするのは何故だろう。
 ちょっと、弥生をいじめてやりたくなってきた。
「弥生、コレできたのか」
 言いつつ、小指を立ててみる。こんな仕草で通じるだろうか? そう思ったが、弥生が頬を赤らめたので通じたことがわかった。
 この娘の挙動は本当にわかりやすい。けれど時々、その真意が見えなくて焦る。
「い、いえ。私、殿方が苦手なんです」
 小さな声で呟く弥生に、俺はちょっと意地悪をしかけてみる。
 弥生を見ているとこんな風にからかいたくなるが、守ってやりたくもなる。
 その華奢な体つきは、夏の夕立に遭えば吹き飛ばされてしまいそうなほどだ。
「ふうん、意外だな。その割りには、俺のところには殆ど毎日来るだろ」
「それは、成安さんが」
「何。俺がおっさんだからか? 大方、お前の基準ではおっさんは殿方に含まれないんだろう」
「いえ、そのようなことは。それに成安さんは、まだ十分お若いですよ」
 弥生は下を向いて赤くなる。
 もっとからかいたいが、これ以上はかわいそうなのでやめておく。
 代わりに弥生へ杯を突き出して、酒を酌むよう視線で促す。
 弥生は杯に気づき、徳利に手を伸ばした。華奢な白い手は、同じように白い陶製の徳利を掴む。
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