四神伝
□青龍記
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先代黄帝が崩御なされたはのはいつだったか、ただ思い出すことすら億劫だった。
文官たちの間で話が尽きた際にあげられる話題がそれであり、つまり否が応にもそれに触れる機会は増す。溜め息の数だけそれは彼女の背にのしかかった。
先代黄帝が崩御した年の翌年、彼女は何の前触れもなく父親より青龍王の号を押し戴いたのである。
特に噂がたったわけでも――また、父親の身体によるところでもない。恐ろしく自然な成り行きでその号は彼女に継がれた。
それが一体何故なのか側近ですら知ることはなく、娘に号を継いだ父親は四海竜王の剣術指南に納まっている。
何故、何故、と問いを繰り返し、時には父親に尋ねようともした。しかしその都度、不在の報せを女官より貰い、その女官の顔を見るのも嫌になった時、彼女は問うことをやめた。
ただ諾諾と科せられたものに従うことこそ自分が為すことなのだと、思った。
「……う、…おう、…青龍王!」
半ば怒鳴り声と化した呼び声に突如として現実に引き戻され、青龍は顔をあげる。思いの外、思案は深かったようだ。呼び戻された途端、心臓が思い出したように激しく動き回っている。
ぼんやりと名を呼んだ兵を見つめ、自身が置かれている現実に目を向けた。
「……墨王は」
現状を告げに参じた歩兵は未だ心配が拭えぬといった顔で青龍を見上げる。跪く歩兵に微かに笑ってみせた。それで彼の心配を払拭できたのかどうか、不安だった。しかしこれ以上の追求を許さない微笑にでも見えたのか、歩兵は声を張り上げる。
「家臣数名と兵を伴って子門より逃亡したとのことです。墨国禁軍においては既に戦力となる兵もおりません。どうなさいますか」
広い大通りの真ん中で青龍は辺りを見回した。黒煙をあげる民家、そこから逃げ惑う民、炎の上がる木、狂気の名のもとに民へ剣を振るう墨国の兵。人の悲鳴は炎の轟音すらも切り裂いて青龍の耳へ飛び込む。
僅かに顔をしかめた。
「民は」
問うたにも関わらず別の質問を繰り出され、歩兵は一瞬戸惑いを見せる。だがあちこちから響く悲鳴に追い立てられるようにして急いで答えた。