Other

□Rain(仮)
1ページ/10ページ


「Rain(仮)」



 覚えていたのは、見慣れた自宅の床に広がっていく、赤い水溜りと、実弟の恐れ戦く表情。そして、事切れた実父の瞳。そして、幻のように現れて、脳裏から消えていく実母の笑顔。何度も何度も夢に現れる、強烈で、鮮明すぎる夢。これが、レインの覚えている、恐怖で染められた唯一の記憶だった。

 その唯一の記憶である幻から覚醒する。いつも見ている薄汚れた天井だった。
 ここはレインが寝泊りする家且つ、職場。しかし、依頼がないと何もすることがない上、職場で働くこともないため、ほぼ家のような感覚である。ちなみに、上下関係はあってないようなものなので、居心地の良し悪しはあまり気にならない。強いて言えば、ベッドや椅子のがたつきが気になることくらいだろうか。依頼が入れば、ベッドや椅子の新調など容易いのだが、最近は雑貨屋の店番や農作業の手伝いなどという、小さな仕事の依頼ばかりで、あまり稼ぐことができない。むしろ、存続の危機とも言えようか。
 レインの仕事は、いわゆる便利屋なのであるが、先ほど述べた仕事のほか、依頼された人物の抹殺や、麻薬の密売の手伝い、交渉なども買って出る。むしろ、このような仕事が本職だ。表向きはきれいな仕事であるが、それはあくまで闇を覆うためのベールであって、実際のところ、金になるのなら何でもする、闇の組織なのだ。
 そんな組織が住み着く場所で目を覚ましたレインは、真っ先に先ほどの夢の内容を思い出して、頭を抱えた。
 記憶を喪失したのはいつだっただろうか……それすら、もう記憶にない。
 あまりの激痛に、脳が考えることを停止しそうになるが、必死に食い止める。まだ何かを思い出せる。今日こそは、今日こそは、何かを思い出せそうな、そんな気がするのだ。
 記憶を喪失してから、もう長い時間が経っているが、この煮え切らない感情に慣れることは決してなかった。いつも歯痒く、気持ち悪く感じる。まるで、眩暈や立ち眩みを起こしているかのように。
 重たい頭を抱える。まだだ、まだ思考を停止してはいけない。思い出せ、思い出すんだ。
 自分にそう鞭を入れると、自然と顔は引きつり、眉を顰めた。きっと険しい表情になっているのだろう。
「レイン兄さん」
 ズキズキと不愉快に痛む頭に、少年の明るい声が飛び込んで来た。高い声なら頭にキンと響いて、不快になるものだが、この少年の声は、決して不快にはならず、むしろ、安堵すら覚えた。
 彼の名はエンディ。明るい金色の髪と、青く透き通った海のような色の瞳、その穢れなき瞳を守る赤縁の眼鏡が特徴的である。あとは、口調が独特なのだが……それは、後々に分かってくるだろう。
 実のところ、エンディはレインの弟なのだが、青い瞳を持つというところ(といっても、レインはやや碧がかっている)が同じなくらいで、髪の色や顔つき、体格などの身体的特徴はまるで異なる。レインはそれなりに鍛えており、身長が高く、がっしりとしながらも細身である。それに対し、弟のエンディは身体が小さく華奢で非力である。エンディはこれから成長していくとはいえ、今のところ、身長差は恐らく十センチ以上はあるだろう。
 兄弟でこんなにも差がある理由に、レインとエンディが、実の兄弟でないことが挙げられる。レインは父母を亡くし(父親は自分で手にかけたが)、弟が行方不明になってしまった孤児である。一方のエンディは、家族を全員抹殺され、一人で途方に暮れていたところをレインに救われて、今に至っている。どちらにしろ、辛く苦しい過去を背負っているというのは、皮肉にも兄弟共通である。
「ぼんやりしちゃって、どうしちゃったのかなん?」
「……昔の夢を見ただけだ」
「何か思い出せたのん?」
「いや。また、いつもと同じ夢だった」
「そっかぁ」
 落胆した口調で言うと、エンディはがっくりと肩を落とした。彼もまた、レインの記憶がないことは知っているため、こんなにも残念そうな表情をしている。エンディは心優しい少年で、兄であるレインの記憶を取り戻すために、日々、あらゆる場所を奔走している。非力な自分が、命の恩人であるレインにできることは、これくらいしかないのだと思っているからだ。
 そして、両親を殺されたエンディにとって、自分を救ったレインの存在は大きい。身寄りのない自分を救ったレインや、ここの仲間たちには、感謝してもしきれないほど恩を感じているが、殺しは決してしない。
 というのも、エンディのような子どもに殺しをさせることに、気が引けるからと思っているからということだけでなく、両親を殺された現場を見ているエンディに、殺しの現場を生み出すのは酷だろうという、レインの考えがあるからだ。自分がエンディと同じくらいの年端で実父を手に掛けているからこそ、その気持ちは痛いほど分かるのだ。
 ……今の頭痛が、その証拠だ。
 まぁ、エンディは自ら情報収集に勤しみ、サポートをする方が自分には向いていると豪語しているので、何ら問題はない。ずっとこのままでいてくれたらいいと、レインは思っている。 
「今、下にお客さんが来てるよん」
「客……?」
 思い身体を引きずりながら、乱暴にカーテンを開いて窓の外を見る。まだ日が高い。昼下がりというべき時間だろうか。窓から町を見下ろすと、昼食を終えたであろう子どもたちが、無邪気に、そして、元気にはしゃぎ回って遊んでいる。昼の光は、眩しすぎて苦手だ。目を細めて、露骨に嫌な顔をすると、さっとカーテンを閉ざした。部屋が薄暗く暗転しても、まだ、目がチカチカとする。

 恐らく、また店番か力仕事の類であろう。この手の仕事には、いい加減飽き飽きしているが、それでわずかでも金銭を得ることができるのなら、やるしかない。ゆくゆくはここを出、エンディと安全な日々を送りたいと思っている。殺しとは、まるで無縁の世界で、ひっそりと。
「クライアントが、こんな時間にか」
「うん」
 クライアントとは、依頼人のことだ。
 レインやエンディが所属するこのアジトは、依頼人からの報奨金で成り立っている。前述のとおり、表向きはきれいな仕事ばかりをするが、裏では殺しや犯罪も厭わない、極悪非道の仕事をこなすのだ。
 金のためなら、善にでも悪にでもなる。ここは、そういうところである。
「しかも、僕くらいの年齢の人で、人殺しの依頼を申し込んでたよん」
 世の中も物騒になったよねと、エンディは困ったように笑った。
 その笑顔が、どこか悲しげなのは……きっと、昔を追憶しているからなのだろう。
 忘れたくても、忘れることのできない、悲しく切ない過去を。
(物騒、か……)
 先ほど見た、遠い昔の悪夢を思い出しては、再び頭を抱えた。
 いつになったら、この悪夢の呪縛から解かれるのだろう。それは、全て終わったあとか……。




  
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ