scusi

□「scusi」
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No.1(はにー)

 白と無数の穴、そしてひとり。
 一辺が15mの完璧なる正方形の床を持つこの部屋にはそれだけ。
 彼の両耳にあてられた半球状の白いヘッドフォンからは単調な低音のリズムが洩れている。
 それは最近では最もよく売れている曲のひとつらしいが、発音のよくない耳障りな英語が浮き足立った調子で、抑揚のない没個性のメロディーにあきれるほど単純にぶら下がり、循環を繰り返すたびに彼の眉間により深い影を刻んでいった。
 ちょうど10回目のイントロがはじまったそのとき、彼は真っ白なフェイクレザーのシングルソファからうんざりした表情で立ち上がり、舌打ちとともに白いコードを ―このコードは彼の耳に極めて不快な音をもたらしている忌まわしき元凶であったが― 右手でつかむと慣れた手つきで自分の側に勢いよく引きよせた。
 その瞬間、彼の鼓膜はあらゆる音から解放された。
 外耳道の中の空気の膨脹したような歪みを彼は感じた。
 真空が叩きつけられたよう。
 そしてそのあと聴覚が正常を取り戻すまでのしばしの静寂を彼は舐めるように愉しんだ。
 一方無数の穴を持つ白の防音壁に囲まれた窓のないこの部屋は、突然のおぞましい大音量に震えた。


 
No.2(マド)

 壁に取り付けた4つのスピーカーと巨大なウーファーがなかったら、とてもじゃないが支えきれない音量。この部屋が砕けて飛び散るギリギリの。
 彼が手放したコードが床に落ちた。
 それと同時に、この部屋の白いドアが開いた。
 入ってきた男は、彼に向かって何かを叫んだようだが、スピーカーからの爆音にかき消され、彼の耳には届かない。
 彼は、「は? 何? 聞こえない」と表情だけで伝えた。
 男は何度も同じ事を叫んでいるようだが、やはり聞こえるはずもない。
 ふたりは、パントマイムのようなやりとりを数回繰り返したが、やがて男の方がキレた。男はつかつかとステレオのところへ歩いていくと、おもむろに音量を最低近くまで下げた。
「でかいって!」
 男の声もでかかった。
「うるせぇから!」
 男は半分怒っている。
「コードが抜けた」
 彼は答えた。彼と男は友人同士で、互いに相手の性格は知ってるつもりだ。
「どーせ、居眠りでもしてコード引っ張っちまったんだろ。ちゃんと聴いたのかよ」
「聴いたよ」
「どうだった?」


 
No.3(はにー)

 そういって"メイ"は期待に目を輝かせ、先ほどとはうって変わったイタズラっぽい笑顔で無愛想な友人の顔を覗き込んだ。
 しかしこのこどもっぽい態度に彼はいつも苛立つ。
 だから答える代わりに手にしたヘッドフォンを、容易く侵入者を受け入れたドアに向かって思いっきりぶん投げた。あくまでも無表情で。
 激突の瞬間、乾いた音ではじけて床に落ち、二枚貝が口を開けるごとくぱっくりと割れると、コードが蛇のような動きですぐさま本体を追いかけ同じ軌跡を描き、ポコンとドアにぶつかると力なくぽとりと残骸の上に落ちた。
 メイは呆れ顔で部屋の片隅に新たに誕生したオブジェを見やったが、そのうち何かに気づくと途端に表情をこわばらせた。
「あのヘッドフォン...」
 抑え気味の声が震えている。
 けれど部屋の主は、それを気にとめるでもなく再びソファにドカッと腰を下ろした。
 頭部を後ろにぐっと反らせ目を閉じ、口を大きく開け呼吸を止める。
 しばしの後そのままゆっくり息を吸い込むと喉が異様な音を立てた。
 有名なSF映画の悪役が呼吸するときと同じ音だと彼はぼんやり思う。
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