Crucifix

□愛と哀しみの輪舞
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【耽美礼讃】



世界3大宮殿
・シェーンブルン
・ヴェルサイユ
・エルミタージュ

そこに住んだ3人の女性。

今回はロマンチックに、彼女たちの人生と宮殿にまつわる、愛と哀しみのストーリーをご紹介します。





††††††††


かつて“世界の中心”と言われた国があった。

オーストリア、ウィーン。

その地に君臨していたのは“王たちの王”と呼ばれたハプスブルク家。

そのウィーンに鎮座するのが、女帝マリア・テレジアの住んだ“シェーンブルン宮殿”。


200ヘクタールという広大な面積をもつ、ハプスブルク家の夏の離宮です。


夏が訪れると、宮殿で働く人々の引越の荷車が、ウィーン市内から途切れることなく続いたそうです。




シェーンブルンとは“美しい泉”という意味。

元々は、近くに湧き出た泉のほとりに建てられた小さな宮殿でした。

それを現在の姿に変えたのが女帝マリア・テレジア。




テレジアン・イエローに塗られた外壁、左右均整のとれたデザイン。

夕陽を浴びるとシェーンブルン宮殿の黄色は一層輝きを増します。


内部は部屋数1441室という壮大な造り。

青の絨毯が敷かれた通称“青の階段”を抜けると、大ギャラリーが。

そこは、王家の晩餐や国際会議などに使われた、まばゆい大ギャラリー。


実はいま現在シェーンブルン宮殿は110年振りの修復中。
高さ10mもある大ギャラリーの天井画も修復中なのです。




この洗練された美しい宮殿に住んだ女帝のお話をしましょう。



1717年。
欧州のほとんどを網羅したハプスブルク全盛期にマリア・テレジアは誕生しました。


1741年にカール6世が死去。
男の後継者(息子)がいなかったため、まだ23歳のマリア・テレジアが後継者に任命されました。


このうら若き女帝をチャンスと見たのか、隣国のライバルが次々と領土と王冠を奪っていったのです。


…ハプスブルクまさかの落日に国は騒然。



しかし、そんな最中テレジアはシェーンブルン宮殿の大改造を命じました。

その狙いは、隣国にハプスブルクに余力が残っていることを見せつけ、また自国民に自信を持たせるたる為でした。


一族存亡の危機の中で、シェーンブルン宮殿の大改造により、各国の王に感銘を与え、ハンガリーの騎馬隊を味方につけ、テレジアは見事、王冠を奪還したのです。



王冠を奪ったライバル国のの一人、プロイセン国王フリードリヒ2世は
「ハプスブルクに大いなる男が現れた。それは一人の女である。」
と言い残したほど。


こうしてマリア・テレジアはハプスブルグの女帝として才覚を表したのです。







†目次†
┣1p.【耽美礼讃】
┣2p.【歪んだ真珠】
┣3p.【汝 結婚せよ】
┣4p.【ヴェルサイユの太陽】
┣5p.【ヴェルサイユの薔薇】
┣6p.【黄金時代の終幕】
┣7p.【美の殿堂】
┣8p.【女帝への道】
┣9p.【愛と孤独】
┗10p.【永遠の恋人】

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