Crucifix

□中世と近世の西洋建築
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†中世から近世の欧州†


お城や宮殿…



たったこれだけの単語に、どれだけの夢とロマンが詰まっていることでしょう。

今回は、私たちを魅了して止まない貴族邸宅について語りたいと思います。



中世〜近世までのイギリスとフランス建築に範囲をしぼり、歴史を織りまぜつつお話しします。



まず誤解の多い“中世”ですが、中世時代は10〜15世紀までを指します。

ロココ時代もヴィクトリアン時代も、“中世ヨーロッパ”と表現されること多々ですが、それらは中世ではなく近世です。



城についても誤解が多いのでが、城=王宮ではなく、城=要塞の方が当てはまります。


欧州の歴史は、略奪と奪還の歴史。

元来“城”というのは他民族からの侵入や、封建制度の荘園領主が、領民と領土を外部から守る為に築いた“要塞・砦”であり、富と権威の象徴でした。


しかし、圧政や重税に苦しむ国民と自由主義貴族による革命で、封建制度は崩れ去ります。

それと共に、城の存在も不要となり衰退していったのです。

守るべき領民も領土も無くなれば、住みにくい要塞など、もはや無用の産物。


貴族達は次々に、城から住みやすい邸宅(宮殿)へと移り住みました。

そうして邸宅全盛期へと突入していったのです。


王族や貴族にとって、城での生活は窮屈なもの。

また、城は国の財産でもあるので、国民や貴族まで出入り自由なところも沢山ありました。


王と言えど、プライベートが一般公開された生活や、古いしきたりに縛られた生活は苦痛なはず。

だから王族たちは皆、人目を気にせずプライベートを過ごせるように、第2宮殿や別荘を沢山建てたんですね。




ここで『ベルばら』時代のフランス国王たちを振り返ってみましょう。


ルイ14世は、絶対王政を潰そうとする自由主義貴族と国民による、革命や反乱を恐れていました。

そのため、毎日豪華な舞踏会を開き、革命家を支援する貴族たちに浪費をさせ、その財産を減らすことで、貴族たちを骨抜きにしました。
それはもう贅沢三昧の日々。

その後のルイ16世もまた、王妃マリーの浪費を止められなかった。

ヴェルサイユ宮での贅沢な暮らし。
アメリカ独立支援への莫大な資金提供。

国家の財政が悪化を辿る中、反発が強まる自国民を軍事的圧力でなんとか抑え込んでいる状況。

穀物不作と重税によるパンの高騰で、民衆の怒りも爆発寸前の最中、王妃マリー・アントワネットの首飾り事件が起こり、火がついてしまった。

暴徒たちがヴェルサイユ宮を襲い、徹底的に破壊。

そしてルイ16世と王妃は断頭台へ…。



美の国フランスも、戦争・革命・内乱で、美しい城や宮殿が度々打ち壊されています。


現在、ヴェルサイユ宮、ルーブル宮をはじめとした宮殿や邸宅の美しい姿を拝めるのは、莫大な予算をつぎこんだ修復のおかげです。

フランス旅行でも、行く先々の建築物のほとんどが修復中でした。


世界一美しいと詠われるパリも、19世紀末まで街の下水事情は最低でした。


あのヴェルサイユ宮にすらトイレ施設は無く、貴族が用を足すときは座面に穴があいた椅子に座り、下に容器を置いたそうです。

それ以外の下の者たちは、宮殿内の部屋や廊下の隅っことかで勝手に…(--;)

そんなワケで、宮殿内は今でも当時の悪臭が染み付いておりました。※汚い地下鉄みたいな臭いの場所もありました



ナルホド、そりゃあ臭いを誤魔化すための香水やら、汚い地面からドレスの裾を守るハイヒールの靴が誕生するワケですよね。



余談ですが、このサイトを作った時、TOP画像をカール大帝にしていました。

フランスは、カール大帝によって強大に成長したフランク王国が基盤となってできた国です。


そして
プレ王朝
 ↓
バロア王朝
 ↓
ブルボン王朝
 ↓
皇帝ナポレオン

と経て、現在に至ります。

フランス人に言わせると、昔から現代に至るまで国の体質はほとんど変わってないそうです。良いトコも悪いトコも含めて。


日本なんて、
戦前→戦後→昭和後半→平成、という100年間で、国民性も国家も激変してしています。



さて。
次のページでは、そんなフランスのお城について語ります。




◆目次◆
1p†中世から近世の欧州
2p†フランスの城・修道院
3p†城から邸宅へ
4p†英国貴族と邸宅


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