月光譚 ―gekkoutan―

□三、月夜
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 「いやあ、食った食った。もう何にも入らん」
 寝室へ向かう廊下を、景良は上機嫌で歩いていた。
 「そりゃあ、あれだけ食べれば、さすがに米一粒だって入らないでしょうよ」
 かなり酔っている景良を支えるようにして歩きながら、了英は大きくため息をついた。
 ほぼ四人分の量の食事、それに菓子や水果までぺろりとたいらげて、それでもこのすらりとした体型を保っていられるのだから本当に不思議だ。酒だって並みの大酒飲みなんか比ではない。浴びるように飲む、というより浸かるように飲むとでも言えばいいのか。
 「しっかり歩いてくださいよ、殿。まったく、こんなことなら輝元殿に手を貸してもらうのだった」
 つい大丈夫だと言って輝元の申し出を断ってしまったのが、今更ながら悔やまれる。まさかうわばみの景良がこれほど酔っ払うとは思ってもいなかったのだ。
 (そう言えば……)
 そこで、ふと了英は思いをめぐらす。
 景良の異常な食欲は別として、さきほどの料理はどれもとても美味で、普段は小食な了英でさえもおかわりして食べてしまうほどだった。勝元も、輝元も、比日喜も、みんな食事も酒も存分に味わっていた。
 それなのに、ただ一人冬仁だけが、どこか物憂げで箸が進まない様子だった。
 (体の調子でも悪いのだろうか?)
 そんな心配が了英の脳裏をよぎる。

 「くぉらー、了英。何を黙り込んでいるんだ」
 「えっ?」
 突然名前を呼ばれて驚いて振り返ると、ろれつも回らないほど酔っ払っているはずの景良の思いのほか真剣な瞳が、じっと了英を見つめていた。
 「殿様?」
 驚いている了英からすっと身を離すと、先ほどとは打って変わったしっかりとした足取りで歩き出した。
 了英は一瞬呆然としてそんな景良の様子を見つめていたが、すぐに慌ててその後を追う。
 「酔っていたんじゃないんですか?」
 背後から声をかけると、景良は立ち止まってくるりと振り向いた。了英もつられて立ち止まる。
 朱塗りの渡り廊下の途中で立ち尽くす二人の姿を、月明かりがぼんやりと照らし出す。
 「酔ってはいない」
 景良がつぶやくように言う。
 それからほうっと息を吐くと、青白い月を仰ぎ見た。

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