月光譚 ―gekkoutan―
□序章
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しばらく沈黙が訪れた。
その中で、先ほどまでの鼻の奥がつんとするような妙な感じは、ゆっくりと波がひくようにおさまっていった。あんなに不安だったのが、少しずつ落ち着いてくる。
その間、目の前のかれは身じろぎひとつせずに、ただじっと私のことを見つめていた。しかしその視線は、まるで私をすり抜けて、どこか遠くを見ているようだったけれども。
やがてかれは口を開く。
「では、お話しするといたしましょう」
相も変わらずの静かな声。
「本当に哀しい時代でした」
感情のない声でそう言う。
「誰もが、ただ幸せになりたかった。ただそれだけの願いのために、多くの人を傷つけ裏切って、時には自分自身さえ見失ってしまいそうでした」
小さなため息。
そのため息に、やっと少しだけかれの感情が感じられる。
「うち続く戦乱の炎、次々に死んでいく人々。何が自分を支えてくれているのか、分からなくなるときもありました」
また遠くで風が走る。ざわざわと音が鳴る。
その中のひとつが、一瞬だけ私たちの脇を走り抜けていく。
「いいえ、わたしには本当に何もかも分からなくなっていたのです。自分の名前も、どこから来たのかも、どうしてそこにいるのかも。ただ、漠然とした悲しみと不安、それだけがあって――」
ふいにかれは口をつぐんだ。
ざわめき始めた心を落ち着けるように、大きく息を吐く。
それに応えるかのように、また遠くで風が鳴る。ざわざわ、ざわざわ、と風が鳴る。
いや、違う。風の音だけじゃない。
これは……、この音は……。
何かが風になびく音。幾千幾億の金色の穂が、風に揺れて触れ合う音。
そう。私はこの音を知っている。遠い遠い昔、どこかで聞いた――
かすかな記憶の糸を手繰り寄せようとする私を、静かな声が現実へ引き戻す。
「そこは一面のすすきの原でした。あたりには何もない、誰もいない。ただただ見渡す限り金色に輝くすすきが、静かに風にたなびいていました。私はその中でたった一人ぼっちで泣いていたのです」
ざぁっと、突然激しい風が通り抜ける。
私はびくっとして辺りを見回した。