第一部・旋風編

□旋風編・烈鬼の章
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「いや、かたじけない」
 箸を置いて男が言った。
 風呂からあがった男は、生やし放題だった髭を剃り、長い髪は後ろで束ねてスッキリした面立ちが現れていた。ボロボロの衣は捨てて、太一の父親のものだったというの古い着物を借りて着替えていた。
 当初は結構な年を重ねているように思えたが、実際はそれほどでもなく、鉄斉と同じか、わずかに上ぐらいに見えた。
 男は綾女の手にかけた料理でさえも実にうまそうに、好き嫌いを見せることなく数人前をペロリと平らげて満足そうであった。
「こんなにうまいものを食ったのは、いつ以来だろうか……」
 そう言われて、綾女は益々料理に根拠のない自信を持ちそうであったが、それよりも彼女にはやはり男の素性が気になっていた。
 もちろん深い所まで立ち入るつもりはなかったが、ある程度のことぐらいは知っておきたい。今のままでは名前すらわからないし。
 太一は、別の部屋で寝ている妹たちを見に行っていて、この部屋には綾女と男のふたりだけだった。
「鉄ちゃんたちに助け出されたみたいだけど、何かあったの?」
「ふむ……、何から話していいのかはわからんが……」
「あ、話せることだけでいいからね。とりあえず、名前とか」
「いや、すまんが、名前は覚えてはおらんのだ。あの大きな人には権兵衛という名前を付けてもらった。申し訳ないが、それで頼む」
「権兵衛、さんね……」
 相方のなんとも安易な発想にため息がもれてしまう。
「あのお方にも話したのだが、わたしは少年の頃、あの森で迷ってな……」
 権兵衛は洞窟の中で鉄斉に話したことと同じことを綾女にも語って聞かせた。
 雨宿りのことから始まり、少年に案内された古寺、夜中に現れた謎の化け物、そして、迷いこんだ洞窟内での永年の生活。
「うわぁ、そんなことがあったんだ……」
 男の数奇な過去に驚きながらも、綾女には気になることがあった。やはり少年のことである。
「あのさ、おじさんを……権兵衛さんを古寺に案内したのって、もしかしたら太一くんのお父さんだったんじゃないかな?」
 太一が森での人助けをするようになったきっかけは、父親の影響からだと、そんなようなことを言っていた。そこから考えれば、太一の父親も子供の頃から同じようなことをしていた可能性が高い。
「あの子の父親が……?」
「たまたま同じくらいの年齢だったから、同じように少年に助けられた鉄ちゃんの話を聞いたとき、あの子がまるで年をとってないみたいに思えちゃったんだよ」
「なるほど……そうかもしれん」
 洞窟の中にいた時は、まだ全てが悪夢のままで、恐怖が前提にあった。それゆえに、どんなに些細なことであろうと、全てを悪夢の元へと結びつけてしまっていたようだ。
 しかし、助けはあったものの抜けられないはずの迷いの森をいとも容易く抜け、化け物も倒され、ここにこうして生き長らえている。明るい部屋の中で空腹も満たされ、身も清められ、落ち着いて冷静に考えれば、彼女の言うとおりに不思議なことなどなかった。
「多分、夜中に現れた化け物っていうのも、少年とは無関係だよ」
「恐らく、綾女さんの言うとおりだろう。今思えば、わたしは夜中に突然やってきた鬼とやらに驚き、そのまま逃げるように自ら森をさまよい、恐れるあまりに洞窟に閉じこもったようだ。よくよく考えれば、確かに少年は関係ないだろう」
「ただ、なんのために鬼が現れたのかってのが気になるね。鉄ちゃんがいってたのも、そこかな?」
「なんのため? 鬼とやらが人を襲うのに、理由が必要なのか?」
「鬼っていうのは、ただ暴れているように見えるんだけど、実際には鬼使いって呼ばれる人が操ってるんだって。だから、鬼の目的っていうより、鬼使いの目的が何かってことね」
「なるほど……」
「それに、もし狙いが権兵衛さんさんだとしたら、もっと執拗に襲っていたはずだよ。でも、一回だけなんでしょ?」
「あぁ、その通りだな」
「いくら洞窟にかくれても、そう簡単にあきらめるとは思えないし。やっぱり権兵衛さん以外の目的があったんだろうね。例えば、あの古寺とかさ」
「古寺か……」

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