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□とけない
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とけない



 「夢を見た。」
 目が覚めると、先に起きて白湯をコップに注いでいたネズミに、ポツリと呟く。朝か夜かも分別のつかない地下の部屋。なのに、今が朝なのだとわかる。なぜだろう。なんとなく。
 「例のクラバットでも腹に詰め込んだか?」
 「そんな幸せな夢じゃなかった。」
 ベッドに座り、虚空を見つめて夢を思い出す。まだ、感触が残っている。
 夢だぞ。それでも、この指先に触れた感触が、残っている。
 「へえ。吉夢じゃないなら悪夢か。魘されてはいないようだったけど。」
 愉快そうに唇をめくり、ネズミはぼくの分の白湯をコップに注ぎ渡す。一言礼を口にし受け取るが、まるで指先が痺れるようにコップを持つ手が滑りかける。
 ここが現実でないような、こちらが夢であるような、妙な錯覚を生む。きもちわるい。
 「二分したがるのはきみの悪いくせだな。そう、悪癖だ。ぼくはべつに幸せじゃなかったと言っただけだ。」
 「それはそれは、申し訳ございませぬ。陛下。」
 深々とこうべを垂れるくせに、まったく反省の意が見受けられない。これほどまでに人は、思ってもいないのに謝れるものなのか。ネズミは不思議だ。不思議で、不可侵。でも不快には、ならない。
 「雪を見ていたんだ、きみと。」
 「夢?」
 「うん。ただ深々と積もる雪を、きみと並んでみていた。公園かな。見たこともない公園で。」
 ぼくは白湯に口をつけず、夢の内容を口にした。ネズミは珍しく、隣に座って聞いた。
 「最初は雪の中で、ぼくがキレイだとはしゃぐんだ。きみは転ぶなよ、て、ぼくを注意しながら、駆け回るぼくのあとをゆっくり歩く。不意に、大粒の雪がやたらと一つ気になって手を差し出して掬う。けど、案の定、雪は手のひらに乗ると溶けてしまう。残念、と振り向いたきみの手のひらには、雪が溶けずにひと粒ひと粒、積もるんだ。ぼくは慌てて払い落としてきみの手を掴んだ。けど。」
 「けど?」
 「きみの手が、氷のように冷たいんだ。いや、氷というより、鉄かな。熱を感じなくて、ゾッとした。だから温めるために手をギュッと握るんだけど、全然、暖まらない。そうこうしているうちに今度はぼくの手が凍るんだ。カチンコチンに凍り初めて、指先から、どんどん体中が動かなく、なって。」
 「目が覚めたわけか。」
 「そう。変な夢だった。最後まできみが笑っているのも、奇妙だった。」
 白湯を一口飲む。途端、総身粟立つ。身震いして、そして全身の筋肉が緩解するように肩から力が抜ける。自覚はしていなかったが、どうやら相当、冷えていたらしい。
 白湯の温度が全身に沁み入るような、蕩けるほどの温かみで、自身が覚醒していくのを感じた。この優しい暖かさが、ぼくを現実に引き戻し、昇華し、現と繋げてくれる。
 ああ、目覚めだ。
 視界が開け、自分を意識する。ここにいる、ぼくという人間を。
 「氷、鉄ね。人を機械みたいに言うなんて、失礼だよ紫苑。」
 ネズミは笑っていた。美しく、見蕩れる微笑。なのに、作り物めいている。彫刻。人の手で作られた、自然じゃない、不自然な、人工的な、笑み。
 ネズミがぼくの指を握る。人だぜ、ちゃんとね。そう呟くネズミの手は確かに血肉でできた人間の手。わかってる。そうだ、きみの手は普通より冷たいけど、ちゃんと人間の手だ。でも。でも。
 違う。
 ぼくが温めたかったのは、夢で握り、温度を渡したかったのは、これじゃない。
 溶けない、融けない、解けない。
 ネズミ。
 きみの、心だ。



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瑞樹さま、ありがとうございましたー!!

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