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□キミとの四季。
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『サクラ散ル』 春−Ver.忍足−





舞い散る、夜桜の下。
月明かりを頼りに彼と口吻けを交わした。

薄褐色の細い髪に落ちた薄桃色の花びらを、指先でそっと摘んで、訝しげに此方を向いた彼に笑って、差し出して見せた。

綺麗な、綺麗な彼が、何故だか儚く脆い硝子細工に見えて。

次の瞬間、よろめいて後ろに一歩脚を引く程の勢いで、強い力で此の身体に抱きついてきた彼の身体。

強く抱き締めたら壊してしまいそうで、それでも強く、強く抱き締め返す事しか出来ないで。



どうすれば良い?
抑え切れない感情を、衝動を。
抗えない足元のレールをどうすれば良かった?
既に時は走り出してしまった。
合理的に止める術はもう無かった。
いや、始めから選択権など与えられていたのだろうか。
形だけの、建前に飾られた偽物だったのではなかったか。

其れに振り回されたのは誰。

紛れも無く、其れは自分であり、そして自分たちだった。




(けれどもう、済んでしまった事)

既に長い間掛けてはいない眼鏡。
其れを左手中指で押し上げる動作をついしてしまい、忍足侑士は掌を眺めて苦笑した。
例え伊達であったとはいえ、習慣とは恐ろしいものだ。

(あれから、5年か)

今頃、桜の花びらに飾られていたあの彼は、一体何処で何をしているのだろう。


全部覚えている。
凛と、いつも真っ直ぐに背を伸ばし、立ち続ける其の横顔、後ろ姿。
強く抱き締めれば折れてしまいそうに華奢な、其れでいて無駄な筋肉の無い、すらりとした肢体。
さらさらとした淡い茶の髪も、壮絶な程に色香を放つ、右目の下の泣き黒子も。
柔らかな唇も、深い海や天空を思わせる蒼い瞳も、全部。

拗ねた様にそっぽを向く仕草。
全て背負い込ませて、ぼろぼろにして泣かせた涙。
強さを失わない瞳の奥に、隠されていた悲観。
寝惚けた声音で、あと5分、と顔を埋める幼さ。
甘えた様に口吻けをせがむ愛らしさ。
口許を綻ばせて、本当に楽しそうに、そして嬉しそうに笑ってくれた。

過ごした時間は長い様で、余りにも短くて。

だのに記憶はいまだ鮮明に、彼という人物像を形成し続ける。

誰よりも強くて、本当は誰よりも弱く、誰よりも優しい人。
そして誰よりも、自分を求めてくれた人。

「いま、何、してんのやろなぁ…」

夜空を見上げ、呟く。


「また、逢いたい、なぁ」


強く、強く望めば叶う事もあるだろうか。
どんなに望んだって叶わない望みも、数多く存在すると判ってはいるけれど。


「…逢いたい、景吾」


ふわり、風が吹いて。
応える様に、桜の花びらがふたつ。
風に舞って、互いを追い掛けるかの様にくるくると踊って。

静かに地面に落ちたのを、歩き出した忍足は遠く後方に聞いた気がした。





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