NO.6

□とある愚か者の話
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シオンの花を摘んだ。

秋の夕暮れ。
薄紫の小さな花びら。
触れれば折れそうな細い茎。
けれども強く芯をもって、真っ直ぐに伸びて花を支える。

光の差さない部屋の奥。
花瓶に飾ってやってもいい。

眺めてやろう。
おまえが朽ちて果てるまで。





とある愚か者の話





「あぁシオンよ、このまま、あの暗い地下室で飼い殺しにしてやろうか」

男は狂気に満ちた愛を笑みに浮かべ、そっと人差し指で小さな花を持ち上げた。
微かに震えるそれに男は目を細めて笑い、そして小さな花びらに口吻けを…



「ッッストーップっっ!!」

「…。なんで?」
「なんでもッ!」

顔だけでなく耳までもを真っ赤に染めた紫苑は、全力でそう叫んでから肩で何度も息をする。
それから顎に添えられたネズミの指先を振り払うように下を向いた。
持て余す事になった右手を腰に、ネズミは仕切り直しの意味を込めて溜め息を吐く。
左手で捕えていた紫苑の右手も解放して、本棚に押し付けていた身体を離すと、紫苑は力が抜けたように改めて本棚に寄り掛かった。

「なんで花の役なんてやらなきゃならないんだよ…」
「舞台の練習相手をしてくれるって言ったのはあんたじゃないか」
「そりゃそうだけど…」

紫苑はごにょごにょ、と口の中で何かを呟きながら横を向く。
いきなりシオンとか言い出したら気になるだろ、とか、なんでここまで密着する必要があるのさ、とか何とか。
銀にも近い白髪が、さらりと流れて顔を隠した。
変わりに現れた、首筋を走る血色の蛇。
心なしか赤味が増している気がするのは錯覚だろうか。
もともと色の白い肌と、色素の抜けた白い髪に、その赤い帯状痕はよく映える。

「いいじゃないか。愛に狂った哀れで愚かな男の話さ」
「ッ…!」

言って指先でするりと蛇をなぞれば、紫苑は瞬時に息を詰めて、慌てて首を押さえながら顔を上げた。

「あのなぁ、そんなに照れないでくれる? こっちまでどうにかなりそうだ」
「そ、んなこと言われたって…」

何が何だか、益々赤に染まったその両頬。

「…もういい、本物の花でも相手にしてくるさ」

ネズミは気怠げに首を掻きながら小さく息を吐く。

「本物って…ネズミ、どこに?」
「散歩。…お付き合い下さり有難う御座いました陛下」

左胸に手を、流れるような礼をひとつ。
まだ何か言いたそうな紫苑を残して、ネズミはひとり、地上への扉を開ける。
階段を一段上る度、皮膚をひりつかせる夜の空気が鋭さを増す。
地上に出て、今にも落ちてきそうな程の星空を前に、白い吐息を空気に溶かした。

花に恋した男の悲劇。
思い通りにならない女の影を、何も語らぬ花に重ねた男の喜劇。
いつしか花そのものに夢中になって、そして甘やかな暗闇に堕ちていく。
愚かな男。
それ以上の印象はなかった。
なかった筈だった。

だが名前というのは恐ろしいものだ。
同じ名前、同じ音。
天然でいつだって綺麗事にまみれていて、けれどその奥底には何かとてつもなく恐ろしいものを秘めているような。
あの地下室の同居人を思い出さずには居られない。
あいつと関係ないと思えば思う程、口にすればする程、その愚かな男に同調していく自分が居る。
その男のように、包み隠さず、欲望のままに言葉を紡いでしまえるのなら、どんなにかこの気は治まるだろう。

いいや。

どこまでも続く、夜の闇と星空の下。
ネズミはひとり、かぶりを振った。

愛なんて重たいだけのお荷物に狂うのは、舞台の上だけで充分だ、と。





―了



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