隔離文

□二大欲+α
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※最初から二部作の予定で書いていましたが、思ったより微妙な感じになったのでボツ。

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「腹減った」


疲労からくる怠惰な時間。
そのどこか心地よい沈黙の最中、前触れもなく投下された呟きに戦慄がはしった。

…あれ。何このデジャヴ


「……いま、なんて」

「はらへった」


その5文字は何かの呪文だろうか?

音として耳を通過した時から冷や汗が止まらないのだが。
変な緊張感からくるのか震え出す手を抑えたレイヴンは、揺れる視線で出口の扉を探した。
目的のものは簡単に見つかったが……、意外に距離があるかも知れない。
視線を戻す。
目の前の壁には少々斬新な絵画。
思わず逃避しそうになる思考に首を振ることで引き摺り戻した。
改めて状況を確認する。
此処は宿屋の一室。
今回同室となったのは、扉に近いほうのベッドで行き倒れたような格好でシーツの上に倒れこんだままぴくりとも動かないユーリ。
そして、窓際のベッドに腰掛けぼんやりと意識を飛ばしていたレイヴン。
間轟事無く休憩中だった。
はずなのだが、ユーリの一言が状況を一変させた。
むしろ、ユーリの言葉の裏に隠されたメッセージに、である。
これは一種の暗号だ。
文字通りに受け取って痛いめにあった出来事は、いまだレイヴンの記憶に新しい傷として刻まれている。
その事を思い出して背中を悪寒がはしった。
とにかく、このシチュエーションであの言葉はマズい。
自らにこれから降りかかる不運の前触れ…というより予告だ。と断言できるくらいに。
そう確信したレイヴンは両手を額に当て俯いた。
安息の地だと思って寛いでいた場所が実は危険地帯だったなどと、誰が予想できただろうか?
そして、気付いたからには一刻も早く撤退すべきである。
…が、物事というものはそう容易くいかないのもまた悲しいことではあるが世の常。
障害物があるのも、また然り。
たった数mの道程。
その途中で獣が息を潜めて餌を待ち構えているイメージがレイヴンの頭を頻りにちらついていた。
あながち間違いではないだろう。
そもそも、なぜ敵を手前のベッドに放置したまま呑気に奥のベッドに寝転がっていたんだ貴様はっ!!
なんて数分前の自分に突っ込みを入れるが、時すでに遅し。
後悔先に立たず。
前回の失敗から何も学んでいないとは情けない。
自己嫌悪に陥りそうになるが、気持ちを持ち直す。
理不尽なことに抗うのが人間。
…なので


「……さぁて。ちょっと出かけてこようかなぁ」


前回と同じ手のような気がしないでもないが仕方ない。
部屋を出なければいけない理由なんて、そうそう思いつかないんだから。
わざとらしいくらい棒読みなのは、このさい目を瞑ろう。
ばくばくと存在しないはずの心臓が忙しなく動いているような感覚から伴う嫌な空気に耐えながら、レイヴンは何気なさを装って立ち上がると着実に出口へと移動を開始した。
が、たった数歩進んだところでこれまたデジャヴ。


「待てよおっさん」


くぐもったその声に、反射的に動きが止まった。
脳裏を絶望を表す3文字が絶えず流れる。
無意識に唾を飲み込んだ。
律儀に立ち止まらず扉まで走ればいい。
頭では分かっていても変な刷り込みでもあるのか立ち止まってしまった。
そして、再び動くタイミングまでも逃してしまった訳である。
しかし、一度犯した過ちを二度と犯さないよう努力をするのも、また人間。
前回は無様に捕まってしまったが、今度こそは全力で逃げさせて貰うっ!
気合いを入れ直し瞬時に思考を切り替えたレイヴンの頭は、末端への指令も早かった。
そう
結果からいえば、スタートダッシュは良かった。
厳密に言えばスタートダッシュ、だけ、は。
歳のわりにいい瞬発力だったと自画自賛できるくらいに。
だがしかし
唯一のミスは
相手のあの俯せの体勢からの反応と、それに付随する瞬発力がバカみたいに早かったのだということを忘れていたことだ。
と、ぐだぐだと言い訳じみた事を言ってみたが、要するに結果として前回同様あっさりと捕まってしまった。
そして
これまたやっぱりデジャヴだが、腕を引かれたと思ったら抵抗する間もなく気付いたら敵の巣穴…もとい、ベッドへと体は放り投げられていた。
本当に前回の教訓が全く生かされていない。


「……レイヴン」

「…って、近い近い近い近いっ!!」


反射的に閉じた瞳を開けば、整った顔が目の前に現れる。
組み敷かれた体勢のまま足掻いてみるが、若干衰えが見え始めた腕力では歯が立たないのか力が拮抗したままで状況を打開するまでには到らない。


「逃げんなよ」

「っ、逃げるに、決まってんでしょ!?」


苦し紛れにそう叫べば、ユーリの口の端がゆったりと吊り上がった。


「…へぇ。俺から逃げられるって?」


にやにやと実に楽しそうに見下ろされ、ぐっと詰まりつつ反論した。


「これでも昔は騎士団隊長首席なんてやってた…」

って、それは別の人だった!

「…のは俺じゃないけど、俺な訳で!」

「どっちだよ」


突っ込みごもっとも!

さらなる墓穴を掘りかけ、表情を変えたり首を振ったりと忙しなく動くレイヴンの頭をユーリは呆れた顔で見下ろしていた。


「それはいいとして。知ってたか?おっさん」

「…何を」


手首にかかる力が強まったのは気のせいではないだろう。
自然と引き吊る口の端に耐えながら答えれば、ユーリが愉しそうに目を細めた。


「俺…、抵抗されると燃えるんだわ」

「さらりととんでもない事暴露したな!?」


いらない情報でした!

若干涙目になる。
確かに今まさにレイヴンの抵抗をユーリは文字どおり嬉々として押さえているけれど。
案の定、舌舐めずりをするかのごとく下唇を舐めるユーリの口元に目が釘付けになった。
何その無駄に垂れ流してるフェロモン!?
って、この台詞もデジャヴ!
そんな心の叫びが聞こえたのかユーリは更に身を乗り出した。
どこか潤んだ瞳。
擦れた声で呼ばれる名前。
肌に触れる指先。
逸らされない瞳。
薄く開いた唇に肌を掠める髪の毛が……って、待て待て待て!
俺は柔らかい女の子が好きなんであってユーリはたまにその髪の長さからか後ろ姿で女に間違えられている事があるにしても列記とした男であって、だから…


「……レイヴン」


顔が近づく。
というか、この位置的にはむしろ


「ゆ…っ」


心臓が煩い…気がする。
ぼやける程に近づいた顔に気付けば目を閉じていた。
間近に感じる相手の吐息。
覚悟を決めてレイヴンが唇を今一度堅く閉ざせば、相手の吐息が唇へとかかり…そのまま頬へと逸れた。

…………ん?

次いで耳元まで降りた吐息は、ぽすりと何かがシーツへと落ちた音と共に沈黙する。

…………あ、れ?


「…おやすみ」


…………………。

触れるはずのものが触れないどころか、右耳のすぐそばに感じる吐息。
吐息というより、むしろ寝息。


「……青年」

「んー」

「ユーリ…?」

「……」


とうとう返事すらも返されなくなって、レイヴンは長いため息を漏らした。


「…勘弁してくれ」


規則正しい寝息を耳元に聞きながら力の抜けた手の下から腕を奪い返すと、自由になった手で目元を覆い脱力した。
…なんだろう。
色んな意味で複雑な気分だ。
深くも考えたくない。
色々と。
…泣いてもいいだろうか?
ちらりと横目で見るとすぐ傍に目を閉じた整った顔。
その顔をしばらく恨めしげに見つめていたが、ある事に気付いて目を細めた。
今まで気付かなかったが、あきらかに疲労の見えるその顔は、いつもより幾分か顔色が悪い。
レイヴンはその顔に指を滑らせた。
寝心地が悪いのか、それとも疲労からか。
ユーリは若干眉間に皺を寄せながら寝ている。
その皺を伸ばすように指先で撫でると体の力を抜いた。
そして、自らの体に成人男性を乗せたままもぞもぞと体勢を整える。
体の下敷きになっていた反対側の腕を抜き取ると、そのまま眠るユーリの背中へと回した。


「お疲れさん」


撫でる背中から、手のひらを通して体温が伝わる。
顔にかかる髪の毛を払いのけ再度ユーリの頬へと指先で触れたレイヴンは、両腕をシーツへと落とすと天井を見上げ瞳を閉じた。
今晩だけは、いつも前線で頑張っている青年の為にシーツになるくらいは寛大な心で許してあげないこともない。
手が届く範囲に体の上にかけられるものがないので、もしかしたら風邪を引くかもしれないが若いから大丈夫だろう。と、胸元が上下する掛け布団にしてはいささか重みの感じるそれを体に乗せたまま、レイヴンの夜は何事もなく更けていった。








翌朝。

よく眠れたのか前日の疲労を残さない実に清々しい顔で扉から現れたユーリとは対象的に、夢見でも悪かったのかどこか哀愁に似た何かを背負ったまま出てきたレイヴン。
そんな二人と、またも廊下で鉢合わせることになってしまったエステルは首を傾げながら不思議そうに2人の背中を見送った。









end













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